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2014年7月 3日 (木)

記号の使い方

 本棚に眠っていた、講談社現代新書の「想像力」を読んでいる。
 色々参考になるが、意味の三角形において想像力果たす役割の指摘は、面白い切り口だと思う。

          思考(想像力) 指示物のイメージを介して
          /   \    シンボルと指示物がつながる
        /       \
   シンボル・・・・・・・・・・・指示物 間接のつながりなので点線表示

     図1 意味の三角形

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%B0%E3%83%87%E3%83%B3も参考にしてほしい。

 確かに、例えば『自動車』と言う言葉は、その人の経験等を思考することで、実際の自動車とつながってくる。このように、記号はそのまま、ものを指すのではなく、一旦自らの経験したイメージを経由して、指示物とつながっている。

 しかし、日本の国には、記号=指示物と言う、直結ルートがあるように感じる。井沢元彦が言う『言霊』の世界である。この理由は、大きく分けて二つあると思う。一つは、元々日本の信仰にある、言霊思想である。これは「名は体を表す」と言う言葉でも表現されている。

 さて、上記の信仰的言霊の弊害はある程度指摘されている。このような弊害が、表に出ている限りは対策も打ちやすい。しかし、もう一つの、「記号=指示物」世界がある。それは教科書教育の世界である。自分の体験なしで、教科書記述をそのまま信じる。しかも日本の教科書はよくできており、そのままで自己完結的に納得してしまう。こうして、記号をそのまま信じる、新たな『言霊人間』が生まれているのではと思う。

 これを理解すると、日本人の『空気』による暴走の一つの原因が見えてくる。

 

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