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2014年7月 1日 (火)

集合知による創造は可能か

 STAP細胞論文に関して、ネット上での種々の指摘が、一つの引き金となったことは確かである。科学論文と言う性格上、論文としての欠点を指摘することには、ネット上で多くの力が参加することは効果があったと思う。
 しかし、今回の騒動で思うことは、育てる方向の動きがあまり見えなかったことである。
 これが『集合知』と言うレベルで考えるならば、論文としての反証と再反証と言う派に分かれての議論があって、もう少しよい形に止揚していく形や、新しい仮説を付加して、説明が追加される事態が起こってもよかったのではと思う。
 さて、今までネット上での集合知の成功例はあっただろうか。これはソフトウエアの世界では、色々な成功例がある。特にオープンソースソフトウエアの世界での成功例は、Linux等の事例がある。
 このような成功例がもっと、広がらないものであろうか?一つは、ソフトウエアの特殊性である。最後はプログラムリストと言う、厳密な情報を共有できる。その上のでの協力である。これが一般的な場合には、難しいという議論がある。また、Linuxの場合でも核心部分はリーナスが作り、その側近が周辺を固めていたという状況も聞いた。
 このように核となる部分が決まっている場合には、集合知が発揮しやすい。言い換えると、拡張性のある核を作り、その思想を説明できるような人がいると、集合知から創造のの道が開けるように思う。
 ここで、日本語の高文脈性が一つのネックとなる。さらに、論理的文章や科学哲学などの一般教養のレベルもネックとなる。
 このような観点で、日本の教育を見直す時期になったのではないかと思う。

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