ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

« 科学の政策をだれが決めるのか?(続編) | トップページ | 知識の使い方についてまとめました »

2014年8月22日 (金)

科学技術を育てると言うことについて

 また、Inoue氏から、貴重な情報を頂いた。今日は、その中でも、科学技術に対する”外部責任論”について少し考えて見たい。久しぶりに、交流分析の発想を持ち込んでみよう。
 まず研究者を、世の中はどのように見ているのだろうか。大衆の中には、「自分達の困難に解決を与えてくれる人。」と言う視線で、『親の立場』を求めている人もいると思う。
 また、多くの人のイメージには、「学者=理性的な人」と言うイメージで、『成人の立場』を求めている。
 しかし学者自体には、自由な発想を重視する『子供の立場』の人が少なくない。特に、研究予算は、「欲しいと言ったらくれる」と言う、子供に近い対応で、社会と接する場合もあった。ここで、親―子の対応がきちんと取れていれば、良好な関係になる。例えば、大衆の求める解決を、学者が提供する。これは学者側が、親の立場での提供で、親子関係が成立する。この見返りの、研究費を政治などが親の立場で与える。研究者は、子供として喜んで受ける。このような、親子の対応がきれいなら、物事はうまく進んでいく。
 しかし、予算査定を行う側が、「研究者は論理的に説明しないといけない」と、成人の対応を求めると、子供と成人の関係で、混乱が起こる。また、研究者間の予算分捕りなど、子供の喧嘩の状況を呈することもある。
 今回のSTAP論文に関しても、「あの発表態度が気に入らない」などと、まるで子供の感情的発言での排除が聞こえるのが残念である。

 しかし、学者世界は子供の世界と割り切れば、周りの大人がそれを育てることも大切である。山中先生は、このことを理解して、国会でもお願いしたのだと思う。また、笹井氏の発案らしい『ムーミンのいる研究室』も、小保方さんの『幼児のごとき純真性』を象徴しているのかもしれない。これを育てるのは、
  『水をかぶってでも皆のために頑張る』
山中先生のような人であろう。

 私が昔お世話になった、K大学のT教授は、定年前の数年は、外部の研究者の論文添削に熱心に取り組んでられた。
  「若い人の成果を育てることが生きがい」
このような気概を持った先生と、社会の目が必要ではないかと思う。

« 科学の政策をだれが決めるのか?(続編) | トップページ | 知識の使い方についてまとめました »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 科学技術を育てると言うことについて:

« 科学の政策をだれが決めるのか?(続編) | トップページ | 知識の使い方についてまとめました »