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2014年10月31日 (金)

教育に関する議論について

 Inoue氏のコメントで、もう一つ大きな問題は、「2次方程式不要論」に関連する、学力論争の議論である。学力論争は、一筋縄ではいかないので、うかつに手を出すと火傷しそうだが、少し意見を述べたい。まず、私個人としては、「根の公式」に力を置く、教え方には少し反発がある。これは、大きな流れとして、幾何学排斥とも絡んでいると考える。数学の解法には、直観的な要素に頼る発見的方法と、手間がかかるが着実に進むアルゴリズム的方法がある。2次方程式の、因数分解による解法は、成功すれば簡潔で分かりやすいが、因数を発見するという、直観的な要素が含まれている。これは、幾何学の証明で補助線を求めるのと同じである。一方、根の公式での解法は、少し手間がかかっても、手順通り解ければ誰でも解ける。
 数学の教育に関して、一時は、このような直観的要素を排斥すべしという議論が強かった。そのあおりを受け、幾何学排斥となり、証明問題が中学数学から消えてしまうという状況になった。このような、証明軽視の反動で幾何学の復権が行われた。その流れを汲めば、根の公式より、因数分解的な手法と言う、議論もあり得ると思う。
 さて、「2次方程式不要論」に関して、もう一つ大切なことは、全体を見ての議論がされているかと言うことである。この全体と言う意味には二つの要素がある。一つは、数学のカリキュラム全体と言う議論である。もう一つは、学校現場で教える個々の教師の技量問題である。
 まずカリキュラムに関する議論であるが、学校の授業時間は有限である。言い換えると、教えることの椅子取りゲームである。「2次方程式」が大切であるという議論は、他のカリキュラムの題材と比較しての議論でないといけない。つまり、これを教えることで、他の教材より基本的なことが理解できる。従って、これを教えるべきと言う議論が必要である。有限の箱の取り合いだから、一つ入れれば、出ていくものがある。これは重要であるというだけでは、議論の半分でしかない。
 もう一つの現場教師の技量に関しては、2次方程式の意味をどこまで理解しているかである。代数学の基本定理やガロア理論までの深みがあるかという話になる。もっとも、ガロアが出てくると、根の公式は例外的なものである、などと言い出す人も出るかもしれない。特に生意気な生徒が、中途半端にかじってこのような話をしたら、どのように指導できるのだろうか。生徒の自主的な思考力を大事にするなら、ここまで準備すべきだと思う。昔と違って、ブルーバックスなど読めば、ガロアの理論ですら、それらしくわかるようにできている。このような情報余りの世界での教師はどうあるべきか、きちんとした検討が必要だと思う。(ネット上の支援体制になるのかな?)
 さて、ここでもう一つ現場を重視という話を、付記しておこう。
 http://repo.flib.u-fukui.ac.jp/dspace/bitstream/10098/1892/1/%E6%95%99%E8%82%B2%E7%A7%91%E5%AD%A6%EF%BC%88%E5%90%8D%E8%B6%8A1%EF%BC%89.pdf
 の17~18ページ目に、「分数のできない大学生」と言う本の表題の悪影響を論じている。しかしながら、中学や高校の数学教師の間では、数学嫌いの原因を追究していくと、小学校の分数の時間で躓いて、その後数学嫌いになった子が多い、と言うことはささやかれていたことである。本の表題だけで動くのではなく、現場の悲鳴のマグマの上に、噴出したのが『分数を知らない子供』と言う議論であった。このような現場の力も無視はできない。

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