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2014年11月24日 (月)

他人の答え待ちと自分の答え

 昨日は、政治への要求として、国のあるべき姿を、マクロ的に描いてほしいという議論をした。国政を動かす人間が、自分の地元企業の倒産を見て、全体的なバラマキや返済猶予を提唱するなどと言うことは、バランスに欠ける行動である。まず、マクロな議論で、国の姿や状況を見ながら、現場の実例を加味して、議論するのが正しいと思う。
 このようなマクロな議論を、現実とのマッチングを取り、しかもう総合的な視点でまとめ上げる能力、これが政策を作ると言うことではないかと思う。このような観点で見れば、この国の設計図はどこにあるのか迷ってしまう。確かにアメリカに追いつけという、設計理念はどこかにあった。しかしその後が、どうも見えないように思う。
 そう考えると、大阪維新の会が「大阪都構想の設計図」を、大阪府市の市民に見せるという言い方は、正しい態度といえるであろう。
 さて、このような総合的な図式作成は誰の仕事だろう。一つの候補は、大学などの知識人の仕事である。確かに竹中平蔵などは、少しはこの面で動いた形跡はある。しかしそれ以外では、自分の狭い専門分野での発言はしても、全体を見た議論は少ないように思う。この件に関して、中曽根元総理が、あるところで、『大学の劣化』と言っていたように思う。
 もう一つはシンクタンクであるが、日本には独立シンクタンクがあっても、ここまでの政策提言はあまりないように思う。本当に独立か突っ込みたくなる。もう一つの官僚機構は、日本最大の独立タンクであるが、そこで一番しっかりしているといわれた、経済産業省でも自然エネルギーへの対応は、全体を見ないとしか言いようがない。この件に関しては、民主党のバカ政権が、十分邪魔したという言い訳もあるだろうが、もう少し電力系統制御と言う、全体を見た議論が欲しい所である。
 さて、この様に誰それが、考えていないと他人を責めてばかりいる自分を考えて見た。残念なことに、日本国のあるべき姿を書くには力不足である。しかし、他人に書かせることが本当によいのか、もっと考えて見たい。
 会社生活で、問題が起こった時、自分が答えるという気概と、能力をもった人間と、他人の責任とかぶせて、文句ばかり言っていた人間、この違いは大きなものがある。何回かは部下や上司が無能と言う言い方で、責任をかぶせてもどこかで付けが回ってくる。特に部下の責任とした人間は、多くは精神を病むことが多くなる。もっとも、このような上司は、部下を過労性鬱に追い込むことも少なくないのでお互い様である。
 このように考えると、やはり総合職から管理職に至る人材は、自分で答えを出せるような思考力を身につけることが大切だと思う。

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