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2014年11月22日 (土)

東洋の論理について

 昨日書いた、東洋の論理について、もう少し読み直している。
 まず、世界思想社の「<あいだ>を開く―レンマの地平」木岡伸夫と、岩波の「ロゴスとレンマ」山内得立の2冊を読んだ。両者の間には師弟関係と言うか、京大の西田哲学の流れがある。西田→山内→木岡  の流れである。

 このレンマの思想は簡単に言うと、以下のような論理である。詳細は、以下のリンクを見て欲しい。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%9E
 1 Aである
 2 Aでない
 3 Aであることもなく、Aでないこともない
 4 Aであることもあり、Aでないこともある
西洋の論理学(ロゴス)では、1,2しか認めていない。従って、排中律が成立し、背理法での推論も可能になる。一方、東洋の論理は、上記の4条件を認めている。これが、山内―木岡の主張である。

 私は、一般意味論をかじったものとして、コージブスキーの非アリストテレス論理学を知っている立場で、西洋文明においても排中律の否定があったことは、しっかり指摘しておきたい。山内・木岡の両氏ともこれを無視しているのは、残念である。

 しかしながら、山内―木岡の展開する、レンマの思考法は、西洋文明的論理と一線を隔し、本当のシステム思考を実現する重要なものであると私は考えている。またこの展開には、仏教の理解が必須である。このような観点から少し考えて見たい。


 

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