ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

« メンターの必要性について | トップページ | STAP論文の検証報告について »

2014年12月26日 (金)

出来る人は良いがそれだけで済ませる問題ではない

 色々な所で、経済の活性化などのお話を聞くと、「有能な人の活躍」と言う形での話が多い。確かに、日本社会は「出る杭は叩く」と言うこともあり、能力のある人財を潰すことも少なくない。もっと言えば、新しいことをする人がいると、横から
 「石橋を叩いて渡れ。」
と言って、
 「橋を思いっきり叩いて、潰してしまう。」
これで、橋が無くなれば、「あの話はなかったこと」となり、「チャンスをつかみそこなった無能」と言う非難を避けることができる。こうして、投資と言うリスクを避けるため、企業に多くの内部留保が生じている。

 このように、有能な人財の足を引っ張るなと言う議論には、一理ある。しかしながら、今のネット社会では、色々な人に発言権と情報入手の機会が与えられている。そこで状況を見ると、「就職したいが、立ち仕事は嫌だ」などと言う意見が、散見する。彼(彼女)らには、特別のスキルがあるかと言うと、どう見てもそうではない。
 さて、ここであるテレビの番組で、某大学教授が、
  「貧窮家庭から、大学に進学する人を見て思うのだが有能な人が多い。」
と発言していたことと思い合わせてみた。確かに、悪条件から、大学に進学し、成果を出す人は、有能な人財だろう。しかしながら、子供の時に、まともな食事も与えられない。環境上、勉強の時間も取れない。このような環境で育てば、連続した仕事を行うことなど、集中力や体力が続かなくなる。今の都市環境では、遊んで体の筋力などを作るためににも、それなりの環境確保が必要であり、XXスクールに通える金のある家の子が、有利な立場にある。
 こうして、体力面でのハンディがある育ちをして、そのような人が立ち仕事は、7時間も続かない、というのは当人の責任と言えるのだろうか?

 このような、恵まれない状況で育った人もいるという前提で、そのような人でも仕事が出来る環境をつくる。これが政治の役割であると思う。また企業側でも、このような色々な能力問題のある人材を、できるだけ活用することも考えていかないといけない。
 ただし、能力の無い人罪に、主張だけ教える、変な人権思想家や、大学教官等は、何とかしてほしいと言う気もする。

« メンターの必要性について | トップページ | STAP論文の検証報告について »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 出来る人は良いがそれだけで済ませる問題ではない:

« メンターの必要性について | トップページ | STAP論文の検証報告について »