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2015年1月18日 (日)

文系理系の話の前に教養が大切

 昨日から始まったセンター試験では、多くの受験生ががんばっているだろう。
 さて、今朝の朝日新聞の2面を見ると、文系と理系の話が載っていた。やれ、理系の方が就職が有利だとか、文系の方が経営者に向いているとか、色々な議論がある。挙句の果ての、朝日新聞は、「文系理系の二刀流」などと言う珍妙なることを言いだしている。
 この問題に関しては、私の解決案は、
  『本当の意味での一般教養の復活』
である。本来、理系でも、科学哲学の基本的なことは理解しないといけない。また、工学部などでは、法学の基礎を知らないでは、色々な規格の問題や標準化もできなくなる。また、損益分岐点ぐらいの会計処理なども理解できないといけない。そのためには、付加価値などの基本的概念も抑えるべきであろう。
 一方、文系でも統計学などは、色々な分野で使いまわしている。ちくま学芸文庫の「数学序説」が、立教大学の文学部の講義を母体としていることを、もう一度考えて欲しいものである。

 この話は、大学の教養部に対する解体問題が絡んでいる。もっと言えば、大学改革で、大学院重点化などの動きで、専門性重視を行いすぎた弊害である。確かに、一時期の一部大学の1~2回生の教養講義の多くは、専門課程の切り売りのようなもので、本当に役立つ知識や考え方を身につけるには不適切だと思う。
 しかし、その改革で教養部を解体してしまったために、本当の意味の一般教養と言うのは、東大やICU等の一部大学にしか残らなくなってしまった。一般教養の教育と言うのは、専門分野の研究者とは別の、高度のスキルと広い見識が必要である。これを、潰したのは、専門家集団と文部科学行政であろう。
 確かに、一部の大学では、教養部を専門課程組み入れて専門性を高めることに成功している。しかし、一部では、元教養部の教官に、不慣れな就職活動の窓口をさせ、種々のトラブルが生じたのも事実である。このような形で、教養課程解体は、進んでいった。それに抵抗したのは、東大の一部の先生方で、知の技法シリーズなどが光っている。しかし残念ながらこれが使えなかったようである。
 今一度、本当の教養というものを見直すべきではないかと思う。

 

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