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2015年1月21日 (水)

工業と学問の関わりの一つの道

 今日の日経BPのHPに、ドイツのVW社の幹部のインタビューが載っていた。これは、テスラとトヨタの特許開放に関する意見が主だが、その中に一つ興味深い意見がある。
 http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20150120/276500/?P=2&mds

「事故被害を最小限に抑えるためにハンドルを切る必要がある時、両サイドに人がいたとする。その場合、どのようにハンドルを操作するアルゴリズムを作るべきなのか。そんな基準を、自動車メーカー1社で作ることなど不可能だ」

これは自動運転などの流れに関した話であるが、ここでは哲学や神学(宗教的価値観)まで入ってくる。この問題を、もう少し明確に言うと以下のようになる。

 「自動運転の車がある。この車が、後方から大型車に迫られている。このままでは
 追突され、車に乗っている人間は、重症か死亡の可能性がある。
 一方、前に歩行者が横断歩道を渡っている。そこで、左右にハンドルを切れば
 どちらにも歩行者がいて、けが人または死者が出る可能性がある。」

このような状況で、生命の重みをどう考えるかという話である。
 この議論は、国情や宗教状況でも違ってくrだろう。今の日本の法律的には、個人の生存のための権利がかなり重視されているので、どちらかにハンドルを切る行為は、『許容される』という解釈が出る可能性が高い。しかし、実際にこのようなことが起これば、激しい非難が起こることは間違いない。特に、個人が夢中で行ったことと、コンピュータがあらかじめ決めて行ったことでは、世論の流れが変わるように思う。運転者個人の責任は追及しなくても、自動車メーカーの責任なら、喜んで追求する、いわゆる『正義派』弁護士などが、勢いづくであろう。

 さて、このような議論に関しては、哲学や神学的立場で、発言する学問界の人がいてもよいのではないかと思う。中立の立場できちんと社会に対して発言する。これが、学問の府の一つの責任ではないかと思う。

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