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2015年1月23日 (金)

日本人の議論の特異性

 昨日書いた、日本人の議論に於ける、論理的な納得の不十分さに関しては、一つの歴史的要因があると思う。
 これは第2次大戦後の冷戦構造における、日本の立ち位置に関している。
 つまり、アメリカ陣営に立っていながら、しかも軍事的な協力は行わないという立場である。この転換点は、朝鮮戦争の時期にあったと思う。
 日本の戦後史を調べると、いろいろ面白い発言が出てくる。例えば憲法制定時にも、共産党などは、『良い戦争まで放棄するのか?』と言う、言い方をしている。
 この文脈の一つで、吉田茂首相と、当時の社会党の指導者の、暗黙裡の密約として、社会党は、反米的姿勢で親ソを示す。つまり、アメリカに対して、
  「面倒を見ないと共産圏になびきます。
  また、反対勢力があるので、軍事的なお手伝いはできません。」
と上手く取引していた。
 ここで、当時のソ連の状況等見れば、共産主義の失敗は明らかである。実際、旧日本軍の参謀たちが、色々調査した時、最初は共産圏と手を組むといっていた連中も、共産主義の実態を知り、これはダメと手のひらを返したという記録もある。(辻正信の意見)
 辻旧参謀などは、それほどすぐれた観察ができたとは思えないが、彼ですら見捨てた共産主義を、無理やり称える主張をした。
 この時点から、理詰めの議論を交わらせる方向は、上手くいかなくなったのではないかと思う。その代り、とにかく反対運動を行う。それに対し、バラマキの金で話をつける。このような図式がのさばりだしたように思う。

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