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2015年1月31日 (土)

仏教の経典を読む時思うこと

 昨年から、岩波文庫の「摩訶止観」を読んでいるが、なかなか難しくて困っている。一つは、仏教の論理が、われわれが学んでいる西洋論理と異なるからである。この点に関しては、山内~木岡両先生の著作に助けられた。テトラレンマの理解があり、しかも比喩を上手に使う、東洋的な論理展開を頭に置くだけで、少しは理解が進むようになる。
 更に、インターネット環境で、色々と調べることができるので、難しい概念をある程度は理解しながら、進めて行けることも大きい。
 しかし、現在だからこのような本は、比較的簡単に手に入るが、昔は本というものは貴重品だったと思う。
 そこで考えて見ると、昔は自分の経験が主体で、それに誰かから聞いたことが加味されてくる。このような勉強の世界であった。
 一方、現在は教科書やマスメディアの情報、ネットの情報と、仮想的な情報があふれている。理論的な知識が先行しているといってよいだろう。このような理論先行には、独善の恐怖がある。現実の複雑さの怖さを忘れた理論家の独善は、恐ろしいものとなる。
 特に日本人は、相手も同じ発想と思い込む、宗教的な基盤がある。これを考えると、特に理論だけの知識、仮想社会だけの知識の怖さを、きちんと知らせるべきであろう。
 ただし、理論知識を充実させ、現実を深く理解し、その上で新しいものを考えることは、大きな成果が生まれることも考えないといけない。
 理論知識を否定するのではなく、暴走させないようにうまく使うことが重要である。

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