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2015年1月29日 (木)

日本人の議論の特異性(在日外国人の苦労)

 昨日の読売テレビのTENで、外国から来られた人が、日本で苦労する話を放送していた。
 http://www.ytv.co.jp/ten/sp/
 この話を聞いていて、一寸深堀ができていないと思った。丁度このブログで取り上げているテーマも考えると、本質をついた答えを提供できそうなので、少し議論してみたい。

 まず、外国から来られた方が、苦労する話として、関西弁が解らないと言うことであった。これは確かに標準語とは違っている。そこでテレビが取り上げたのは、関西弁のイントネーションによる使いわけの講習であった。そこで一つ、突っ込むべきは、四声を使い分ける、中国の人が、この程度のイントネーションの違いに戸惑うであろうか?と言う議論である。英語でも、語尾の上げ下げの質問がある。これを考えれば、大阪弁の難しさは別の所にある。
 今まで、このブログを見ていただいた方には判ると思うが、大阪弁の難しさは、高度の文脈依存による、同じ『言葉』の使い分けである。テレビに放送したのは「まいど」と言う言葉であったが、色々な含みを持っている。これは文脈の中で解釈を変えるものである。このような文脈依存性は、中国には少ないものだと思う。

 さてもう一つは、弁当問題である。われわれは弁当と言うと、当たり前に思っている。しかも飾り切りなどの遊びにも違和感は無い。しかし、海外からのお母さんにとっては、これはとてもハードルの高い宿題である。この問題は、システム思考などとも絡んでいる。会席料理をお重に詰め込んで実現する、松花堂弁当は、われわれにとってはぜいたく品であっても、実現不可能と考えることはない。しかし、多くの文明では、このような発想は不可能である。
 つまり、フルコースの宴席と、携帯食料は別物である。縮小した類事物を連続的に実現するという発想は、『縮み志向の日本人』と言われるように、日本文化の特徴でもある。これができない文化があると言うことを知らないといけない。

 さてここで、このような日本的発想の根源には、真言宗の即身成仏や、明恵上人の「あるべきようは」があるというのが私の意見である。このような宗教的な根源まで考えないと、異文化理解は難しいと考える。

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