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2015年2月16日 (月)

日本語のネット社会について

 今のネット社会では、色々な人たちが、自分の言いたいことを、twitterなどのSNSで吐き出している。この現象は、色々な見方が必要である。一つの見方は、カウンセリングの立場での見方である。自分の心の中にあるものを、吐き出すことで楽になる。この発想は一つある。そして、ネット化したつながりの中では、色々な人がいて、その中には自分を受け入れてくれる人がいる。これは、単に「いいね」のワンクリックだけであっても、当人にとっては受け入れられたという満足感を与える。
 特に、ゲームなどでのつながりは、その中での認め合いと言う関係を作り、仮想的な世界での満足に価値観が移ってしまう。また、反対する人との関係は、ネット上では切りやすいので、自然と自分だけの意見で進んでしまう。これに加えて、文脈依存度の高い日本語では、短い表現で仲間内では通じてしまう。Twitterなどは、日本語に適したツールだろう。
 しかし、このような仲間内での話は、反論がないだけに極端に走りやすい。特に前提共有の世界から、その前提を持っていない世界に話が広がると、色々な摩擦を生む。一方、若い世代の中には、そのようなゲーム世界ですべてと言う形まで出てくる。こうなると、人間の理解にも歪が出てくる。
 ネット右翼の出現には、このような側面もあると思う。もっとも、今までの左翼による、抑圧の反動と言うべきかもしれない。北朝鮮の拉致事件が、まともに言えるようになったのは2000年を超えてからである。それまで、今の社民党の人たちなどから、『拉致』と言っただけで、どれほどの追及を受けたであろう。これを考えると、ネット右翼を。「考えが浅い」「視野が狭い」等と叩くのは。左翼の連中の「教養のない人間への見下し行為」と線引きが難しいと思う。
 確かに、ヘイトスピーチの問題はあるが、それと同程度に昔は、左翼系の糾弾があったことを、きちんと示すべきであろう。

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