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2015年2月23日 (月)

想いが通じないと言うこと

 今朝の日経BPを見ていたら、上手なプレゼンテーションでも、スキル倒れになって通じないという話が載っていた。
 http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20150220/277767/?P=6
 この話を読んで、私も何度か苦い経験したことを思いだした。一つの事例では、私がある部門で特命作業をしたとき、その成果を一つにマニュアルにまとめた。そして、その当時の部長が異動することになり、その部長の業績はあまり芳しくないものであることを知っていた私は、純粋の好意で、「宜しければこのマニュアルもお使いください」と差し出した。その時の心中は、「彼にはこれぐらいしか功績と言えないだろう」と言う憐みの心からであった。
 しかし、彼から帰ってきた言葉は、
 「君の売り込みに私は加担する気はない。分を知りたまえ。」
であった。
 この話は、その部長の器の問題と言えば、それまでだが、ある意味の教訓はある。確かに、物事を教えられるときに、相手を尊敬していると、色々な物が素直に入ってくる。一方目下に指摘されると、腹が立つという心情もある。
 このような感情面を考えないで、内容だけで勝負するものとして、ネットの匿名性を考えていた。正体不明のハンドルは、その意味でつけたものである。
 しかしながら、ここまでブログを書いていると、その書いたもので一つの人格ができてしまった。その上で評価を受けるようになる。益々想いが届かなくなる世界になるのか思ってしまった。

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