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2015年2月 7日 (土)

ゲーム的な発想を実際の社会で生かす

 先日は、ゲーム的な世界に依存することで、人間に関する理解が一面的なものとなる危険性を指摘した。
 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-b490.html
 しかしながら、もう一度考え直してみると、このような部分的なものでも、相手の心のモデルを持つことは、相手の行動を予想したり、思いやったりする一つの切り口になる。人の心は解らないと、全てを投げ捨てるよりは、一歩踏み出したことは良いことではないかと思う。
 ただし、ゲームなどの発想は、あくまで一つの仮説である。検討の切り口ではあるが、間違う可能性があることを、念頭に置いた行動が必要である。仮説による行動を行う時には、その仮説が外れた時の対策を取っておかないと、取り返しがつかなくなることもある。例えば、お客様の購入動機を自分で推定して、より良いと感じるものを勧めてみる。しかし、ここで外れる可能性があることを考えて、引き返す手段をきちんと設けておかないと、そのお客様との縁は切れてしまう。
 ゲーム依存が弊害は、このゲームで考えている世界が全て、という思い込みがもたらす。ゲームで作った仮説を、現実の情報で検証しながら進む。間違っていたら引き返す。このような姿勢があれば、ゲーム的な発想も色々と活かすことができるだろう。繰り返すが、ゲームの世界が全てと言う発想が、困ったことになる。
 さて、このような仮説思考をする人間が、育つ環境を考えて見た。このように仮説を使う行動は、深く突っ込んだ検討ができている。しかし一面的な切り口でしか検討できていないことも多い。しかしその仮説が的中した時に得るものは大きい。ここでそのような力を持った人間を育てるためには、仮説の有効性の検証を、きちんと行うことが重要である。そして、良い仮説をきちんと褒めることも大切である。評論家として、欠点をつくのではなく、良いところは認め、足りない所を助ける。このような姿勢が、本当に力のある部下を育てるために重要である。
 交流分析でいうところの、自由な子供を育てる、優しい親の発想が必要になる。そして、若いときに、仮説の有効性と、失敗した時の危険性を教え、常に謙虚に検証しながら、大胆に仮説を立てる。そして複数の仮説で検証しながら、物事を進めるようにする。そのために視野を常に広げるように知る。これができれば、本当の人財になると思う。

 

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