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2015年3月13日 (金)

根本的な問題の解決のためには定性的な議論も必要

 今話題になっている、「21世紀の資本」に目を通した。あまりにも厚すぎて、ざっと目を通しただけなので、読んだとは言えない。しかしながら、2つほど言いたいことが出てきた。
 一つ目は、彼の主張である、

≪資本収益率が産出と所得の成長率を上回るとき、
資本主義は自動的に、
恣意的で持続不可能な格差を生み出す≫

について、もう少し定性的な説明がほしいと言うことである。このため、私の持っている仮説は、
  「安定時期には、それまでの蓄積が正のフィードバックをかけるので
   蓄積のある場合ほど、成長が大きくなる。従って格差は拡大する。」
というものである。この仮説の裏の主張は、
  「変革期には、それまでの蓄積が足を引っ張るので、成長率は資本蓄積と
  負の相関になる。従って格差は減少する。」
というものである。
 これは、ピケティのデータとも、大まかには合っていると思う。

 もう一つ言いたいことは、格差解消の手法である。ピケティは、上を叩くという感じの税制を提唱している。しかし、本当に必要なことは、格差の下側を揚げる努力ではないかと思う。
 具体的には貧窮問題である。確かに親の貧窮が、子供の貧窮に影響することは少なくない。特に、小学校時代に、きちんとした生活を送れないと言うことは、できる限り解消させるべきだと思う。これは、義務教育だから、学校にやればよいという問題でもない。満足に家で食事もできない子は、学校の勉強にもついていけない。さらに、家が貧しくて、きちんと座る場所すらないような子もいる。そのような子は、勉強するときに、授業時間中きちんとした姿勢で、注意を集中することすら難しい。そして、この様な家では、友達との付き合いにも支障をきたす。このようにして、社会に出るときの基本スキルが身につかないと、就職の口も狭く、低賃金労働者となり、貧窮の再生産になっていまう。
 貧窮の再生産を避けるためには、子供を預かり、全寮制で小学校までは出してやるようなシステムが必要ではないかと思う。

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