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2015年3月20日 (金)

日本の経済成長と教育の関係

 日経BPのHPを見ていたら、【八城政基】「高度成長は日本の教育のおかげ、ではない」が目についた。確かに日本の高度成長は、日本的な教育だけによるものではない。しかし、日本的教育が色々と作用した面もあったと思う。
 一寸物騒な話だが、戦前の日本軍と米軍の比較で、よく言われる言葉がある。
 「米軍は大部分の兵士が、連続して弾の出る自動小銃を見っている。
 一方、日本軍は弾薬がもったいないと手動の38式歩兵銃しか持たされていない。」
この話は、日米の国力の違いとしてよく出てくる。しかしながら、此れにはもっと踏み込んだ議論がある。アメリカ軍等の多くの近代的陸軍の歩兵では、多くの兵士は相手を制圧する(脅かす)ためだけに、狙いなどどうでもよいから、弾をばら蒔く任務を与えている。このための、自動小銃の配布である。一方、主要な敵を倒す、命中させるための射撃を担当するのは、狙撃兵として別途訓練している。そして、狙撃兵たちが使う銃は、38式歩兵銃と同じボルトアクション式のことも少なくない。
 実はアメリカ軍の研究では、戦場に於いても人間に対して、冷静に発砲できる人間は、5人に1人ぐらいしかいないという結果がある。これを踏まえて、残りの4人に制圧射撃と称する作業を与えている。一方、日本軍は全員が、38式歩兵銃で皆が敵を狙い、打ち殺すという覚悟で当たっている。この均一性は、太平洋戦争開戦直後は、大きな威力を発揮した。米軍は弱いという感触は、この5対1の比率から得たものもあったと思う。

 さて、この軍事的な話が、戦後になると、別の形で生きてくる。
  『全員参加の改善活動
これは、上記の話とどこか似た感じがする。アメリカ的発想なら、改善ができるのは、20%もいないだろう。その人たちにやらせろというのである。一方、日本的発想は全員が出来るという考えである。
 このような均質性の教育が、ある意味の現場力と言う形で、実を結んだことは、否定できない面がある。ただし、上記の米軍の指導者のような、立場での人材開発ができたかどうかは、確かに疑問の余地がある。
 もう一つ言えば、日本のメーカの現場でも、
  「競合他社は、最新鋭兵器で、われわれは明治の38式歩兵銃しかない。」
と言うぼやきがあったことは、管理職の投資能力に関して不満を示すものである。もっとももっときつい言葉もある。
  「当社の研修は、自動小銃の時代に火縄銃の打ち方を教える。
  そして現場に行けば、竹やりで戦うことになる。」
(涙)

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