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2015年4月18日 (土)

批判的な行動しかしない指導者について

 会社の仕事に於いても、マスメディアの報道に於いても、
  「XXは悪い。」
とだけ言って、
  「XXすべきである。XXしたらよくなる。」
とは言わない、いわゆる『評論家的態度』を時々見る。
 私は、このような姿勢は、嫌いであった。そこで、できる限り解決法を示すようにした。また方向付けとして、自分なりの解決を示すようにもした。

 しかし、『摩訶止観』を読んでから少し考えが変わってきた。禅の指導などでは、師は弟子に対して答えを言わない。弟子が持ってきたものに対して、良いか悪いかを返すだけである。認められない答えには、単に鈴を鳴らして退席を指示する。これが普通のやり方である。
 自分が探し見つけたものしか、本当の悟りではないという発想がここにはある。考えを積み重ねるのではなく、突然判るようになる『頓悟』の世界である。しかも、天台の教えでは、全てを一気に悟る『円頓止観』を求めている。これは、自分で見つけるしかない。
 日本の思想には、天台の『摩訶止観』は色々な所で影響している。しかも、直接その教えに触れる機会は少ない。このような暗黙裡の教えの力は、意識していないだけに、影響をきちんと考えるべきである。
 なお、禅僧でも、弟子を追い詰める形で、答えを引き出す指導者もいることは、付け加えておくべきであろう。経営の現場に於いて、「なぜ」の追求にその影響を見出すことができる。

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