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2015年5月 7日 (木)

抽象化を使えるということ

 先日から、大学的思考法と、現場的思考法の違いについて、色々と考えていた。そして、カウンセリング関係で色々と思うこともあり、少し戦争神経症なども含めて、Web情報を覗いてみた。戦争神経症の話は、私が若い時から影響を受けている、『一般意味論』の活動が、戦争神経症の治療に役立つことを目標に開発されたという経緯がある。
 更に放送大学の「科学哲学」の教科書を読み直すことで、これらの問題点と対応策が見えてきた。この関係を以下のような図で整理してみた。
Gakushasekai
 つまり、大学等の学問での世界では、複雑な現実世界を抽象化し、理想的な世界で議論をする。例えば、天体運動を考えるとき、地球のような大きなものでも、一つの点(質点)と考える。このような理想的な状況を、定義をきちんとして考えて、その上で決められたルールで推論し、議論するのが、学問の世界である。この段階での抽象化は、学問的価値観によって決まる。これを意識することで、考え方が自由になると。ヴェーバーは指摘している。
 一方、現実の世界で仕事をする時には、そこで見えている世界だけでなく、色々な関連することを考慮しないといけない。例えば、一つの物を作るときも、そのものが今まであったところの経緯や、将来の変化なども考慮しないといけない。つまり、過去や未来からの影響まで考慮しないといけない。上図の薄い広がりで描く『拡張世界』はこのようなことを示している。ここでの拡張は、学問的な抽象化ではなく、現実世界の複雑さを背負ったままでの拡張になる。
 さて、ここで学問世界について、もう少しメリットを考えてみよう。学問の世界では抽象化して議論することで、一般的な知識を得ることができる。これは、人類にとっても大きな成果である、一般化した知識があるので、先人の教訓を伝えることができる。数の計算と言うことを考えても、抽象化して一般化することで、多くのことがひとまとめにして身につけることができることが解る。
 しかし、このように抽象化して覚えることは、過度の一般化にまでつながることがある。極端な話が、戦場の経験を、帰還したのちまで持ち越す戦争神経症である。このような過度の一般化の弊害を除くために、一般意味論では
  「抽象の梯子を下れ」
と言い、具体例に即して考えを切り替えることを教える。

 確かに、過度の一般化の弊害と、理想社会と現実への不適合の弊害は、大きなものが有る。日本の左翼陣営の敗退の一つの理由は、この現実との適合失敗がある。社民党の衰退には、「北朝鮮のような理想的な国の犯罪」と言う現実に向き合えなかった面もある。

 しかしながら、実社会で仕事をする時、抽象化して見通しを良くすることも大切である。但し、その時に、抽象化する前提があるということを、常に頭に於いて、自分が間違う可能性がると、謙虚に反省し、適切な修正行動を行うかとが重要である。
 親の立場である何者かに、抽象化した世界を作ってもらい、その上で勉強した学生時代ではなく、自分が責任を持って現実と向き合う。自分の判断で情報を取捨選択して一般化する。それを場合によっては部下などにも与える、親の立場で考える。これが、総合職であり管理職の任務であると思う。

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