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2015年5月25日 (月)

大阪市の住民投票と「橋下徹」の役割について

 大阪市の住民投票から1週間が経った。投票結果は、微妙なものであるが、都構想自体の否決という結論ははっきりした。そこで、大阪市の橋下市長は、今季限り引退と言う意向を表している。
 私は、「橋下徹」と言う役割は、今回で終わるという言い方にはある程度納得する。「橋下徹」とカッコ付きで書いたのは、個人と言うよりメディアなどが作り上げた、イメージと言うか、時代の要請にしたってできたものだと思うからである。
 私の考える、「橋下徹」と言う役割には、既得権益や権威への挑戦、自分達の感覚での政治の実現と考えている。特に、「専門家」と称する部隊の、独占的な利権に切り込んだ功績は大きいと思う。
 橋下徹氏の、弁護士能力に関して、
  「緻密に文書を読み込み理解する能力に欠ける」
と言う評価らしい。しかし、これもある意味の、専門化しすぎた法律世界へ、一般人的な感覚での決着を求めた結果ではないかと思う。確か、彼の弁護士事務所は、裁判より示談での決着が多かったと聞く。タレント業などでの一般的説明と、裁判の陳述などは異なっている。しかしそのような『専門家論理』による、業務独占に対して、彼が反発したというなら、これは政治家としての姿勢と一貫していると思う。
 このような専門家の世界は、学会などのアカデミズムの世界から、役所仕事の文書の世界、そして自治労の取り仕切る一部現場など、ある種の『既得権益』が生じている。
 この既得権益に切り込む力は、「橋下徹」という革命家でなければできない。しかしながら、革命家は敵も多く、志半ばで討ち死にすることも多い。逆に、吉田松陰や久坂玄瑞のように、死ぬことで後世に名が残ることもある。
 今回の選挙で討ち死にした「橋下徹」は、すっぱり政治活動から身を引き、タレント業なども辞めることで、見事な死にざまを見せる。これが、彼の志した維新を実現する道だと思う。
 改革時には、極端なことを言う扇動者が走る。そして彼が討ち死にした後、常識人がまとめていく。維新の成功は、これからが正念場である。橋下原理主義になるのか、現実を飲みながら着地を求めるのか、常識も兼ね備えている、松井知事の手腕に期待したい。

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