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2015年6月15日 (月)

時代の背景を見ながら「空気」を考える(続き 第2次大戦敗戦の反応 その5)

 昨日は、戦後の状況を、東京裁判やGHQの対応を中心に書いた。一方、「空気」の検討としては、その時の一般民衆の対応を落としてはいけない。
 この状況は、一言で言えば『手のひら返し』と言うことになる。今まで、
  「お国のために頑張ってて死んで来い」
と教え子を送り出してきた教師や地元の有力者たちが、手のひらを反して
  「軍国主義者に我々の生活は無茶苦茶にされた」

  「マッカーサー万歳」
を叫び出す。
 つまり、一転して「空気」が変化したのである。
 このような状況は、今でもいろいろな場面で起こっている。
 例えば、実戦空手のK会でも、創始者が無くなった後、色々と跡目騒動で、生前はあがめていた、総裁の悪口を言う人間が出ている。また、O教の元信者も、A師と言っていたのに、呼び捨てで、皆彼が悪いといっている人間も見受ける。

 このような現象について、「空気」発生論の観点から見ると、マッカーサーの指摘が、本質的な原因ではないかと思う。つまり、日本国民の多くは、(自分で考える)民主主義に関しては12歳の子供のレベルである。言い換えると
 日本人の多くは、善悪の判断基準を自分で考えず、他人の判断を丸呑みする。
と言う段階である。これは交流分析でいう、子供の態度でもある。

 こう考えると、他人の判断に従うのだから「空気」の暴走も当り前であろう。
 なお、此れと関連して思いついたが、空手のK会に関しては、某漫画原作者と組んで、色々とあることないことを劇画で流していた。このような、虚像の独り歩きが「空気」を暴走させることもある。

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