ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

« 時代の背景を見ながら「空気」を考える(続き 革新勢力 その8) | トップページ | 専門家の説明不足(客観的評価不足) »

2015年6月20日 (土)

時代の背景を見ながら「空気」を考える(付録)

 明治維新から、戦後の冷戦時代までを通して、わが国における「空気」について色々と考えてきた。今日は、戦後の知識人の作った「空気」の、一つの悪影響について考えてみたい。今回取り上げる題材は、「絶歌」問題に影響を受けている。なお、私は「絶歌」は読んでいない立場での論評であることは、あらかじめ断っておく。

 この問題に関しては、色々な切り口があると思うが、一つの切り口は、犯罪者の保護と、被害者・関係者への保護のアンバランス問題である。罪もない子供の命を残虐な方法で奪った者は、「少年A」とプライバシーの保護がされている。一方、被害者関係者は、実名報道など色々な2次被害・3次被害にあっている。このアンバランスに加えて、同書では犯罪者の厚生に対し、色々なケアが行われていたことも記述されていると聞いた。
 この話を聞けば、被害者の側に対するケアとのアンバランスに、納得のいかないものを感じるのは、私だけであろうか?もっと言えば、オウム真理教の麻原彰晃の家族は、当時10代の子供まで、実名報道にさらされている。刃物で人を殺した、「少年A」は、保護されて、親の犯罪に巻き込まれた、松本XXはさらしてよいのだろうか。
 ここで考えるに、戦後の長い間、犯罪被害者の人権は大きく無視されていたと思う。特に、人間が普通に持つ『復讐権』を奪われてきた。いわゆる人権派の弁護士の、死刑反対の弁論には、死刑を求める人たちや裁判員に
  「あなた方が殺す」
と言う論法で、プレッシャーを与えてきた例もある。これは、復讐権を抑圧された上、「お前も人殺し」と2重の責め苦を与えるようなものである。

 今取り上げた話が、戦後の「空気」問題と、どのように関係するか、疑問に思われた方もいるだろう。私が言いたいのは、この「犯罪者の人権」などの、一面だけに偏った主張は、戦後の進歩的知識人に特に強いということである。
 このように全体を見ずに、自分の切り出した根拠から、論理を組み立てて主張する。このような、「知識人社会のルール」が大きな力を持ったのは、戦後社会の特徴だと思う。このような形で、理論の力が暴走し「空気」を作ったのが戦後社会だったと思う。

 なお、欧米と日本での「空気」のでき方に於いて、一つ大きな違いがある。欧米のキリスト教などの文明では、「神様の世界」は到達不可能であり、人間は部分的な知識しかない。此の応用として、広場で色々な意見を戦わせ、多面的な見方をしていくという発想もある。
 一方、日本では仏教の「あるべきようは」「即身成仏」「円頓止観」と言う思想があり、全体を知る立場の人がどこかにいるという信仰がある。従って、強気で発言する人に、盲従する人間が出てくる。この部分に「空気」発生の一因があると思う。

« 時代の背景を見ながら「空気」を考える(続き 革新勢力 その8) | トップページ | 専門家の説明不足(客観的評価不足) »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 時代の背景を見ながら「空気」を考える(付録):

« 時代の背景を見ながら「空気」を考える(続き 革新勢力 その8) | トップページ | 専門家の説明不足(客観的評価不足) »