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2015年6月 6日 (土)

医療の進歩と安全確保の規制

 神戸の病院で、生体肝移植を強行したが、患者が亡くなったというニュースがあった。この話には色々と考えることがある。
 まず今回の患者さんは、当人及び家族(肝臓供給者)が、手術について切望していたという状況を前提で議論すべきである。座して死ぬより、たとえ死ぬことがあっても、手術で延命する可能性に賭けたい、この気持ちはわからないことはない。特に、家族も全力を尽くしたという気持ちと、やるべきことをしてあげられなかったという後悔を、天秤にかければ手術関連の負担を受け入れる気持ちはわかる。
 そして、患者の様態が悪化していたということは、手術を伸ばすほど状況が悪くなるということも、可能性としては大いにある。このような状況を考えると、今回の手術を一方的に責めることはできないと思う。
 しかしながら、今回の手術を含めて、医療の適切さに関して、色々な疑問が存在することは事実である。もう少し広げれば、医療行政と言うものに関する不安と言うか不満である。
 今回の話にもあるが、患者の切望(此れこそ自己責任である)に答えて、危険な手術も行う。この可能性は、開くべきではないかと思う。規制ばかりして、機会損失になっていないか疑問が残る。
 一方、そのようなことで野放しになる危険性がある。主治医の勧めに断りにくいのが現状である。従って、情報公開の原則がもう一つ必要である。患者のプライバシーもあるが、独立した医師の判定を義務付けるべきであろう。そして手術失敗となっても、その後の解剖やMRIなどの情報保存が必要だと思う。
 もう一つは、医師の能力判定を、厳しく行うべきである。G大の手術など、どう見ても医者のスキル不足の事故が起こっている。これに関して厳しく評価すべきである。私の、知り合いにも、ある部分の水取りに失敗した医者に、人工関節手術を勧められた。別の医師に診てもらうと、関節の奇形があるから、針をさすところを注意しないといけない、人工関節はまだ先と言われた。このような、状況で手術を野放しに勧めるのは、怖いように思う。
 やはり、医師の能力判定は、きちんと公開してほしいものである。その上で、自己責任の道を開いてほしい。

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