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2015年6月21日 (日)

専門家の説明不足(客観的評価不足)

 昨日の、「絶歌」の話に関して、もう少し考えてみた。このような、事件がらみの心理的研究は、しっかり行って欲しい。特に、再発防止に役立てて欲しいと言う想いは、多くの人にあるだろう。実は、この部分が、一般人に見えなくなっている点だと思う。
 犯罪に対する刑罰は、犯罪者の教育・更生のために行うべき、という議論がある。確かにお説ごもっともだが、今の刑務所制度・少年院制度で、どのような効果があるのか、それをわれわれは知らない。これは、我々も目を向けないという面もあるが、その分野の専門家の説明不足の面があると思う。
 ここで、「絶歌」の問題に、もう一度帰ってみよう。犯罪を犯した人間の、心の内を研究することは、心理学的・犯罪学的な側面から、色々な成果があるだろう。しかし、それを一般的な書店で販売する必要があるかは、別の話である。もっと言えば、研究者が間に入って、このような情報なら公開したらよいと、切り分けて出版するのも一つの手だと思う。
 また、一部の書評では、犯罪者の更生に関して、ここまで対策して言うのかと言う意見が在った。このような行動は、政策としてきちんと世のなかに公開すべきである。犯罪者には、このような手段を取っています。更生した結果は、どれだけの比率できちんと社会復帰しています。
 このような情報が公開されたうえで、犯罪被害者とのケアの差なども、きちんと議論すべきである。
 お上の政策には批判するなと言う姿勢が、情報隠しを生む。そして、批判を受けないから、説明力は低下したままになる。
 この話は、今の日本の制度に全般に当たるような気がする。

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