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2015年6月28日 (日)

恨みと怒り(主体性の問題)

 或るところで議論した問題だが、
   「社会に対する恨み」
   「社会に対する怒り」
の両者の違いは、どこにあるのだろうか?
 一つの違いは、「恨み」は自分自身の中にこもっていく、一方「怒り」は外側に向いて発動する。もう少し言えば、「恨み」には、どこかあきらめの雰囲気がある。「怒り」には、自分で何かするという、活力と言うか主体性がある。
 従って、「自分自身に対する怒り」はあっても、「自分への恨み」と言うものは、あまり聞かない。確かに、「過去の自らを恨む」と言う人はいるが、それは「過去の自分」という別のものに対する恨みである。自分への恨みは、諦めと言う方向に向くことが多い。
 さて、ここで「怒り」と「恨み」のどちらが危険だろうか?一般的には、「怒り」による行動が、他人を傷つけることはよくある。「恨み」は、陰気にこもっているだけのことが多い。
 しかしながら、「恨み」がこもりすぎて行動に移ると、陰湿かつ凶悪な犯罪になることも少なくない。このため、アサーショントレーニングなどの手法で、「恨み」を持たさないように、発散させる訓練も行っている。
 ただもう一歩、踏み込んで考えることも大切ではないかと思う。「恨み」の原因は、一つは自らの無力感である。言い換えれば、主体性が発揮できないということである。
 この部分の解決策として、私は総合的な観点を持つことを提案したい。広い目で見て、色々な絡まりを見ていく。その中に多くの縁と、それによる応報を見ていく。こう考えると、自分お主体性をもう一度認識し直せるのではないかと思う。

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