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2015年6月 8日 (月)

マスメディア関係者の能力と空気の関係

 今朝の朝日新聞に、

新聞社の男性はマス“コミュニケーション”がなりわいですから、ほかの職業に比べると、空気を読める人が多く偏って存在するのでは。

と言う一節があった。
http://www.asahi.com/articles/ASH6404QDH63ULZU00Y.html?iref=comtop_6_04
 この意見は、紙面の議論の本筋とは離れるが、色々と考えるべきものがあると思う。
 まず、コミュニケーションについて、もう少し突っ込んで考えてみたい。新聞のコミュニケーションは、文章による発信が主体である。このことは、文章情報に偏ったコミュニケーションと言うことである。もっと言えば、「活字の権威」によるコミュニケーションと言う側面がある。
 またコミュニケーションのお相手は、そのような活字に反応する人達である。従って、文字情報に偏ったコミュニケーション能力である。ある種の高学歴者の間で、自分達の共有する文書を権威扱いし、その前提を知らない、読めない人間を排除する社会が、ここから生まれる場合もある。この前提を、「原典文書」とここでは仮に名づけておく。
 さて、このような「原典文書」に触れる機会のない、一般人民はどのような行動をとるのであろうか。一つは、この権威をそのまま受け入れる場合である。このようにして、マスメディアが誘導する「空気」が生まれる場合もある。

 しかし、現在のネット社会では、別の現象も起こっている。このような、紙の上の権威は、現実の前ではもろいものである。近頃有名な話は、朝日新聞の一連の捏造事件である。このようなものが一つ出ると、一気にこの権威は崩れる。一番典型的なのは、「北朝鮮は理想の国」と言っていた社民党の没落である。

 このような状況は、マスメディアの関係者が、自分達の文書情報処理能力を、独占的な権威と言う風に、無意識的に考えていた。しかもそれを自覚しなかった。これが崩れつつあるということから起こっているのではないかと思う。

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