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2015年6月 7日 (日)

大学に依存する社会の危険性

 先日、あるテレビで火山の噴火予知に関して、ある大学の先生が言っていた。

XX山は、XX大学の研究者がホームドクターとしてついているから、噴火の予知はできる。一方、XX山は論文を書きにくいので、ホームドクターがいない。従って予知できない。

つまり、大学の研究課題として、論文成果が見込まれる山には、研究者が貼りついているので、予知ができる。しかし、論文成果が見込みにくい山には、研究者が行かない。従ってデータもなく、噴火予知もできない。

 これは、何かおかしい話である。本来、噴火したら被害の大きい山、噴火の可能性の高い山こそ、きちんとした予知体制を敷くべきである。しかし、これで大学を責めるのは、少しおかしいような気もしてきた。このような噴火の予報は、気象庁の仕事か、もっと広く言えば国土交通省で専門の部門を持つべきかもしれない。それを大学に頼るのは、本当に良いのだろうか?
 大学人にとっての評価尺度は、論文発表である。そのような論文の書けない山には、研究の熱が湧かないのは当然である。しかし、論文にならなくても、国土を守る仕事は評価されるべきである。確かに、文部科学省の評価ではないかもしれない。しかし国土交通省がきちんと評価すべきである。

 この話は、もっと多くの分野でありそうな気がする。大学の自主性に任せる研究もよいだろう。しかし、国民の安全のために必要な研究は、国民が税金を払ってその機関を維持すべきではないかと思う。

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