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2015年7月30日 (木)

合格点と本当に役に立つレベル(解決の道へ)

 昨日書いた、「少年A」の「自らの罪への向き合い」に関して、あるカウンセラーの方から、「自分が彼の教官だったらどうするか?」と言う問題に向き合っている、とのご指摘を頂いた。
 確かに、自分がその立場に立ったら何ができるか、それを考えずに、問題点の指摘だけ行うのは、「評論家的姿勢」として、今まできらっていた。
 そこで、「絶歌」に書いている、少年Aが、自らの罪に向き合ったシーンに、内観療法の創始者である、吉本伊信が対応した場面を、想像してみた。なお、吉本師は浄土真宗の僧侶でもある点を考慮している。

 場面1:
 少年Aは、自分の罪と向き合い、犯行時のフラッシュバックに悩み、おびえている。
 それを、吉本師は、静かにじっと見ている。吉本師のオーラは暖かく、少年Aを包もうとしている。

 場面2:
 少年Aに対して、雑談の形で、親鸞の悪人正機説を吉本師が説く。
 「親鸞上人は、阿弥陀様の救いを信じていた。悪人でも、地獄に落ちても、阿弥陀様が救ってくださる。自分が、悪人だと解っている人間は、必ず救ってくださる。」
 少年Aにとって、これは単なる言葉として、通り過ぎている。

 場面3:
  少年Aは、自分の罪と向き合い、犯行時のフラッシュバックがまた出てくる。そこで、心から
 「悪かった!」
 と言う叫びが生じる。
 そこで吉本師が一括する。
 「お前は、今地獄にいる。そこに阿弥陀様がす、救いに来られる。」
 その時、少年Aの目には、吉本師が、阿弥陀如来の姿に見え、泣きながら手を取る。
 吉本師は、
 「つらいだろうが、これからも罪を償っていきなさい」
 と声をかける。少年Aは、
 「阿弥陀様はいらっしゃるのですね。」
 と確認を求める。これに対して、吉本師は頷く。

このような展開なら、もう少し当人の救いは深まるのではと思う。逃避せずに、地獄に向き合う。それを支える信仰の力が必要ではないかと思う。仏教の、皆にある仏性の信念、阿弥陀如来の救いの信念、これがあるからこそ、とことん罪に向い合せ、地獄に落とすこともできる。
 しかし、現在の日本の制度では、政教分離になっている。
 ない物ねだりになるが、宗教による救いをもう少し考えてみたい。

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