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2015年7月22日 (水)

東芝と言う会社の罪

 今回の東芝の不適切会計問題の本質は、
  「数字操作で業績を作り、それが社長就任に影響した。」
と考えている。
 もう少し突っ込んでいくと、
  「社長の選別が、単なる数値上の業績で決まる会社であった。
ということである。
 数字でなければ、何がと言う問題になるが、私の経験では、
  「社長になる人は、色々な面からの評価を受けている。
ことが大切だと思う。色々な段階で、選別を受けていく。そして、
  「ああいう側面では困った人」
と言うような人は、どこかでふるい落とされていく。このような仕組みが、組織の中に蓄積されている。こうして、
  「あの人が社長になるのは納得する。」
と皆が言う形で社長になっていく。
 これは、単なる数値あわせの力や、部下に対する『恫喝力』などで、達成できるものではない。

 しかし、東芝では、『数値いじり』の成果で社長を誕生させてしまった。しかも3代も続くとなると、企業風土そのものかもしれない。

 この話に関連して、思い出した話がある。旧日本陸軍の人事は、山縣有朋が健在な間は、彼の目に適った人間が出世するということが在った。これは、学校秀才とある種のバランスが在った。しかし、これに反発したのが、陸士や陸軍大学を優秀なる成績で、卒業した者たちである。その一例が、東條英機である。山縣有朋が無くなった後、彼らの言う「実力主義」が横行した。その選抜結果の『優秀なる人罪』が、第2次大戦に我が国を導いた、しかも引き時の決断ができなかった。

 何か、東芝の状況を歴史の繰り返しと見るのは、強引すぎるだろうか?

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