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2015年8月26日 (水)

1950年代のアメリカ社会の状況

 先日から書いている、「ハイ・タレント」関連の話の発生源は、1950年代のアメリカである。当時のアメリカは、スプートニックショックでソ連に対抗するための強い力を求めていた。ここで、突破口を開く、ハイ・タレントの活用が、重要課題になったと思う。
 さて、そのような時代を良く映すものとして、当時人気のSFである、E.E.スミスの「レンズマンシリーズ」創元SF文庫について考えてみた。このシリーズは、いわゆるスペースオペラと言うことで、荒唐無稽と退ける人も多いと思う。しかし、私が1960年代に読んだとき、「何かある」と言うものを感じた。
 その何者かが、今回の議論でだいぶ明らかになってきたので、一度書いておきたい。なおここからは、ネタバレが多くあることを断っておく。

 まず、レンズマンシリーズの根底にある考えは、銀河文明の守護者である、アリシア人と、侵入者であり、銀河文明と相容れない文明を持ち、しかもその文明に全てを合わせようとするエッドア人との戦いである。これは、神と悪魔の戦いの図式である。そしてアリシア人は、地球人類などを支援するが、エッドア人のことは知らせようとはしない。これは、神の世界は到達不可能と言う図式である。
 ただし、アリシア人は、既に進化の限界に至ったため、自らの後継者を育成しようとする。そのためにとった手段は、銀河文明の4つの星を選び、それぞれで種族改良を重ねて弱点を全て除去した存在を作り出す。それが、人類から生まれた「レンズの子供たち」である。このように種族改良から次の「神」を作り出すというのは、進化論の影響を露骨に表している。

 また、途中経過である、「三惑星連合の第二部 2 1941年」と言う小編には、第2次大戦中の米軍の、魚雷不発問題を皮肉った内容がある。これは、1960年代には判らなかったが、アメリカ海軍の魚雷不発問題は、海軍側の対応のまずさから、アメリカ国民が不満を持っていた。
 このような形で、官僚制度や民主主義制度への不満があったことも、「超人による支配」を渇望する空気につながったと思う。
 ハイ・タレントへの期待は、このような環境で生じた。

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