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2015年8月11日 (火)

権力についてもう少し

 昨日書いた、権力の話についてもう少し考えてみたい。これについては、考えれば考えるほど問題点が出てくる。特に、わが国の「権力」と言うものは、欧米の「権力」と違うような感じがした。これは一つは宗教の違いのようにも思う。欧米のキリスト教的価値観では、神の下では、皆が不十分であるという前提がある。そこで契約などをきちんとし、神との契約での権力と言う観点がしっかりしている。その上で、部下などへの契約も成立するだろう。
 一方、日本の宗教的観点は、人間は「仏性がある」と言う、大乗仏教が基本にある。即身成仏化、一念三千かは別として、人間は全てを知る能力があると言う信仰である。これが根本にある。従って、絶対的な「善」の存在も簡単に信じてしまう。それを知っている人は、絶対的な権力者になってしまう。
 しかしながら、即身成仏にしろ、一念三千にしろ、簡単に体得できるものではない。しかし、ここで「大乗」の教えが力を発揮する。誰かが、「真なるもの」を持っていれば、それに連なる者も救われるのである。明治以降の「教育勅語」の教育世界、「軍人勅諭」の世界がこれである。
 特に、軍人世界では、指揮命令系統の確保は重要事項である。戦場に於いては、一瞬たりとも組織としての乱れを許すことはできない。従って、命令は絶対と言う形になる。
 これが、欧米の軍隊では、微妙な違いがある。下士官以下の命令絶対は同じだが、士官級の者は、命令受領時に取引を行う権限が与えられている。また、命令効力のなくなる条件も明らかにして、命令を契約として受ける。
 このような、士官級の契約としての命令受領が、わが国ではできなくなっている。命令に対して意見を言うと、上官の命令に逆らうという感じになる。ここで、命令は絶対的に正しいという、信仰ができている。裏を返せば、現実的・理性的に議論をすれば、ぼろぼろの命令がたくさんある。しかしそれを、上位者と言う権力で押し付けている。そこに反論や議論を許せない事情がある。
 この話、軍事で書いたが、今の学校教育までつながっていそうな感じがある。特に、国語の場合、教科書指導書の示すところで『感動しろ』と、権力で押し付けられているように思う。
 これでよいのだろうか?

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