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2015年8月17日 (月)

勉強の目的は?

 先日来、専門家は素人をいじめてはいけない、と言う議論をしている。丁度その時、本棚を整理していたら、遥洋子著「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」が出てきた。私も昔、この本は学問の方法として、色々考えるべきものがあると思って付箋紙に書き込みをたくさんつけている。もう一つ、学問の方法として踏み込みたく、これのパロディも作ってみた。
 http://manabizz.c.ooco.jp/KdaiBenkyou1.pdf
 http://manabizz.c.ooco.jp/KdaiBenkyou2.pdf

 さて、今回問題にするのは、「ケンカを学ぶ」と言う一言である。これは、「女性差別などで、苛められている(か弱い)タレントが、学問的手法を身につけて、論争に負けないようになりたいので勉強する。」と言う趣旨であろう。これは、学者の論争技術を身につけて、論争での優位に立ちたい。専門家の武器を自分にも使わせろ、と言う発想である。

 確かに、勉強の目的の一つには、
   「勉強することで他人より優位に立てる」
という意識づけはあり得る。「ドラゴン桜」も同様の主旨である。しかし、専門的手法を持って、他人を言い負かすという発想は、苛められた人間が、苛められた方に回るという発想にもつながってくる。このような考えが、本当に良いのだろうか?

 この動機を言い換えると、他人との関係で相対的な優位を得るための勉強である。極端に言えば、「XX試験で、だれそれよりよい成績を取った」と言う発想の延長である。

 これを乗り越えるためには、勉強の価値を絶対的なモノにする必要がある。自分にとって満足がいくようなものとするのである。具体的には、勉強の成果を使って、色々な物事を理解する。世の中で起こっていることを、納得した上で説明できるようになる。これが一つの勉強の価値だと思う。

 私は、時々就活で、アドヴァイスすることがある。その時、学校の勉強を仕事で生かすことができると、気がついてくれた子は、結構上手く言っているように思う。これは、単に内定と言う話だけでなく、就職後の成長にもかかわっている。

 もっと宗教的に考えてみると、このような世の中の仕組みに関し、色々な係わりを見通す力を実感することは、自分の中にある「仏性」を確認することでもある。これは、自力での救いの一つの道ではないかと思う。この話は、ヴェーバーの「プロ倫」と似た議論であるが、仏教的な救いの話として考えてみる価値はあると思う。 

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