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2015年8月12日 (水)

日本的文化における教科書の暴走

 先日から、日本の特異性を、宗教面で考えている。日本の宗教は、大乗仏教であり、しかも多くは比叡山の流れを汲んでいる。このことから、少し見えてくるものがある。
 まず大乗仏教では、皆に仏心があるので、仏の境地に至ることは可能であることを教える。これは、キリスト教などと大きな違いであり、
  「あるべきようは」
の正解の世界を、人間が到達できるということを信じている。
 聖徳太子まで戻れば、話せばわかる、と言うことであり、皆に共通する真如の世界を理解した人間が存在するという信仰である。
 一方、大乗仏教と言うことは、自分だけの救いではなく、他人も含めてもの救いである。菩薩の智慧は、自らを救うだけでなく、皆を救うためのものである。このように、誰かが救ってくれるという、一般大衆の信仰がある。
 これが、転じて「教科書絶対」の世界になったのではないかと思う。つまり、絶対的な悟りの世界にいる人が書いた「教科書」で教える。ここには誤りはない。この発想は遡れば、経典絶対の世界になる。「法華経が一番正しい」等はその一例である。
 これが、真言宗の即身成仏の密教系なら、もう少し変化を認めたかもしれない。大日如来は、全てを作る力がある。その力が、自分にもあると言う発想は、自らの責任感を引き出す面もある。しかし、比叡山の流れでは、経典に頼る面があり、教科書丸のみが進んだように思う。

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