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2015年9月21日 (月)

自らの罪に向き合う力

 昨日書いた、自らの罪に向き合うと言う話、もう少し掘り下げてみたい。自分の心に正面から向き合うことで、悟りの境地に至ると言うのは、大乗仏教の教えには合っていると思う。しかし、自分の心の中にしっかりしたものが無い場合はどうなるのだろう。
 例えば、安保法制に関しても、法律の条文を見た上で、賛成反対をいう。これなら、「一時賛成したが、間違っていた」また逆に「今となっては、あの法律は必要だった」と言う反省ができる。しかし、「XXが言っていた」、「Twitterで戦争法案と見た」のレベルの根拠なら、「私は騙された」と言う形にしかならないだろう。
 このように自分で考えていない人間は、そのように言われた行動で、例え人を傷つけても、本当の意味での反省はできないだろう。昔の、「北朝鮮は夢の国」論者が、拉致被害者にたいしてしたことを、本当に反省していないのは、このような当事者意識と言うか、自己責任が無いからである。交流分析で言う、子供の行動である。
 そう言えば、民主党政権時の事業仕分けの、治水予算削減に関しても、民主党には反省の傾向が見えない。これは、彼らが真に考えてあの政策を打ち出したのではなく、誰かに言われたからやった、と言うレベルではと思う。
 このように考えると、本当に自分で考えて行動している人間こそ、本当に自分の罪に向き合える。そしてそのように、向き合って悩めば、本当の悟りに至ると言うのは、当然のように思える。交流分析で言う、大人としての責任ある行動である。
 一方、全ての人が考えなくても、社会が動く仕組みと言うのも、それはそれなりに意味があるようにも思う。考えない人間を、奴隷のように扱い、本当に考える人間だけの支配と言う発想は、西洋文明には合った。しかし、このような制度は身分制につながっていく危険性がある。
 我が国の制度は、もう少しゆるくて、今考えていない人と言う程度の発想である。こちらの方が、救いがあるように思う。

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