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2015年9月29日 (火)

ネット情報を丸呑みが民主主義と言えるか?

 安保法案に反対するデモの動きを、『カウンターデモクラシー』の成長と、もてはやす人がいる。しかし、この言葉は単純には受け取ることができない。
 カウンターデモクラシーについて、話しているのはまずはフランス人である。フランスには、バカロレアの制度があり、国民的にも哲学的な議論を行う風土ができている。特に大学に進学するような立場では、きちんと自分の意見を持ち、多様な見方ができるようになっている。そして、そのような人たちに、色々な見方での情報を提供する、マスメディアが育っている。このような風土があるから、代議士や官僚の専門性に対抗する、カウンターデモクラシーが成立するのである。
 一方、今回の安保法制に関しては、反対派の動きの多くは、「戦争法案反対」「徴兵制反対」「子供を戦場に送るな」と言うような、スローガンに動かされた感じがする。もっと言えば、SNS等の情報に動かされた人もいると聞く。しかし、ネット上の情報を見ても、安保法制の法律条文をきちんと挙げて、それを解説している記事がなかなか見つからない。このように、一同法律の内容を見た上で、反対なり賛成なり言うなら、これは立派なカウンターデモクラシーと言えるだろう。しかし、誰かの意見、断片的な言葉に踊るなら、これは、日露戦争後の、小村寿太郎を糾弾した民衆の動きと、内容を理解せずに騒いでいるという点では、共通するモノを感じてしまう。
 もう一つ、今回の安保法案反対の根拠は、『内閣法制局』の解釈を、政府が変更したことを責める論点がある。この話も、何か矛盾を感じる。『内閣法制局』でなく、裁判所ならまだ理解できる。三権分立の原則もあり、最高裁判事の国民審判の制度もある。一方、一官僚集団に過ぎない、『内閣法制局』の権威を、そこまで高める動きは、まるで『官僚支配』を求める感じすらする。
 カウンターデモクラシーには、官僚の専門性優位に対する反発もあったということを考えて、もう一度議論が必要ではないかと思う。

 なお、日本の教育制度の、教科書に従う生徒を作ることを重視している点が、このような誰かの意見の丸のみを生んでいることを、もう一度反省しないといけない。自分の感性に従う直観的理解を重視した、山本七平を叩いたのは、このようなアカデミズム絡みのマスコミであったことも想い起してほしい。

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