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2015年9月13日 (日)

大学人の「批判的」思考とは

 先日、どこかで見かけたが、
  「大学に於いては批判的思考が重要である」
と言う意見を見た。
 この言葉は、色々と誤解を招く内容だと思う。物事を批判ばかりして、潰してばかりいる。このような大学なら、その大学の存在を批判し、自滅してもらうしかない。しかし、他人は批判しても、自分に対する批判は受け付けないのが、この国で大きな顔をする条件らしい。
 そう言えば、STAP問題で、論文の捏造をした人間は、学会から追放すべきなどと言っていた、大新聞が、慰安婦問題で捏造記事を書いた元記者の、大学教官の立場を守ろうと、論陣を張っている。このようなご都合主義の体質だから、一般民衆の支持を得られなくなるのだと思う。

 さて、大学人の「批判的」思考と言う話には、もう少し突っ込んで考えるべきものがある。「批判的」と言う言葉を、「クリティカル」と言い直してみよう。この言葉には、日本語訳として、『批判』の他にも『厳密な』と言う意味がある。これは、デカルトなどの哲学者の、

出来るだけ先入観を排除し(全てを疑いながら)厳密に考えていく

と言う発想が根本にある。このようなクリティカル・シンキングは、学者世界では必須の能力である。しかし、「クリティカル=批判」と単純に考えて、批判ばかり行うのは、本質を理解していない行動である。
 このような行動をとっていると、文系大学不要論に潰されることになるだろう。もっとも私は、微分記号も知らない、理系大学も不要だと思う。

 最後に、社会学の先駆者ヴィーコは、クリティカルな議論だけでは、漏れていくものがあることぉ指摘したことを書いておく。

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