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2015年10月26日 (月)

考える力がないと「教祖」になるしかない

 先日から書いている、自分で考えないが、お上からの指示を伝える、と言う形での支配的親が、わが国には少なくないという話で、もう一つの道が存在する。
 それは、「教祖」になる道である。自分でしっかり考えたものではない。つまり自分で作ったものではない。しかし思い込んだものはある。それに対して、反論を許さず、お前たちは無条件で従えと言う。これは、「教祖」のやり方である。
 本当の教祖なら、信者の悩みを自分のものとし、同じ苦難を受けるであろう。しかし、近頃の教育を受け、マスメディアの言うことを無条件に受け入れていると、「教祖」と言うものは、勝手なことを言えばよいのだとの理解している人も少なくない。
 このことを、理解しているかどうかは別として、わが国には「教祖」が少なくないと思う。ワンマン経営のオーナー社長など、まさしく「教祖」であり、他からの批判など受けそうにない。また、今某Iの会、の解党騒動など、カリスマ的な「H教祖」の後、色々あって継いだ、小物の「M教祖」が、権力を振るおうとして、元のカリスマたちと争っている図式に見える。小物教祖に対しては、「大教祖」に従った者たちは、ばかばかしくて従えない。このような状況では、多くの分裂騒動が起こる。
 なお、この様な「教祖」間の争いは、嫉みの心で、『呪詛合戦』となることが多い。本当に宗教を体験したら、「呪詛は己に帰る」と言うことが解るはずだが、それも知らずに、
 「あいつはXXのせいで、うまいめをして~~」
と呪っている人が多くなっている。この国の勢いがなくなったのは、このような「呪い」が多く出て、それが自分に帰り自滅したのではないかと思う。T芝の歴代社長たちは、先代を呪い、他社社長を呪ってきて、それが自分に帰ったのではと思えてくる。

 さて、このような教祖になりたがる人に対して、「完全教祖マニュアル」などと言う本まで出ている。困った状況である。

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