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2015年10月 2日 (金)

責任と自由の問題

 我が国において、色々な発言が、「責任感が無い」と責められることが少なくない。
 確かに、一面的な見方や、自分の利害だけで勝手な発言をしていると、感じる事例も少なくないと思う。
   「まるで子供の言い方だ」
と感じることもある。

 しかし、子供と言う言い方で、もう少し考えてみた。今の日本の教育システムと言うか、人材開発システムは、本当に大人の教育をしているのだろうか?例えば、小学校から高校までの教育では、教科書の範囲で、教師の要求する成果に合わせる子が優等生である。国語の授業に於いても、独自の感性で感動するより、教科書指導者に書いてあるところで感動する方が、成績が良くなる。
 これが大学に入っても、同じように指導者の器の中で、「良い子」として育つことを求められることが多い。極端な話、研究者として独立のはずの、博士課程でも「ピペド(=ピペットを操作する奴隷)」と言う言葉が示すように、研究指導者に言われたままの行動をさせられている例もある。

 会社に入っても、上司や先輩の指導に従って、前例踏襲と言うことになる。このようにして、自分の自由な意見を考えず、与えられた範囲で仕事をする。これは、交流分析で言う子供の世界である。
 自分が全てを見て、判断した上で、行動したなら、その責任はすべて自分いあると言うことは、素直に言えると思う。しかし、他人に従って、与えられた中での行動しかなければ、責任は他人にあると逃げてしまうのではないかと思う。

 我が国の、無責任体制を排除するには、せめて高校ぐらいから、自主的な行動と責任と言う教育を、する必要があると思う。例えば、欧米では高校の体育では、自分でルールを考えたゲームをさせる授業があると聞く。このような発想も重要だと思う。
 また企業生活では、ルールに従わせる、命令に従わせることも重要だと思う。しかし権限委譲と状況説明などをきちんと行って、責任が取れるような形に持っていくことも大事だと思う。
 東芝の「無責任チャレンジ」などの根もここにあるのではと思う。

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