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2015年10月20日 (火)

甘えがない世界の怖さ(続き)

 前回書いた、甘えの話、もう少し考えてみたい。この問題には、核家族化などの家庭生活での問題も、大きく影響していると思うが、今回は学校教育を中心に考える。
 戦後の日本は学校教育に適応した子供を、大量生産してきた。義務教育と言う強制力をもち、教師の言うことに従う、『従順な子供』をきちんと生産する。更に、建前としては、理性的な対話を重視する。つまり交流分析で言う、A-A型(成人の論理的関係)が建前であり、実質はCP(管理的親)-AP(従順な子供)と言う支配関係である。教師は、理性的・論理的に生徒を教えると言う建前がある。しかし実質は、論理的に指導する力は弱く、教師と言う権威に頼って、生徒を押さえつけている。
 なお、教師の権威は、戦前には教育勅語があった。戦後の一時期には、マルクス主義による正義感などと言うものがあったが、今では『内申書の成績決定権』と言う武器に頼る者も少なくない。
 このような支配関係では、力の支配であり、甘えと感謝の流れなどはなかなか育ちにくい。感謝や愛情と言う側面は、理性的と言う建前の世界では、無視されることが多い。その代り、数値化できる金銭面等での評価が強くなっている。また、本来は甘えて受け取る補助なども、当然の権利と主張するような向きも出てくる。

 親に抱かれた、暖かさ、そのときの子供の安らぎからくる、親の満足、このような物の評価ができなくなるから、今の世の中はおかしくなっているのではないかと思う。

 また、理性的が強調されるばかりに、口の立つ人間だけが幅を利かすようになってくる。何か、宗教の世界まで、理屈を述べる人間が大きな顔をし、愛情などを感じにくくなっているように思う。

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