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2015年10月23日 (金)

親の立場について

 先般から、甘えを切り口に、感情面の育成について考えいる。今日は、関連して親の問題を考えてみたい。なお、ここで「親」と言うのは、血のつながりの親だけでなく、交流分析で言う「P(親)」の立場である。これは、学校教師や職場指導者などでも、「親」的な姿勢で対応する人を含んだ議論である。
 交流分析に関しては、以下のウイキペディアの記事を参考にしてほしい。今回は、PACモデルの考えを使っている。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E6%B5%81%E5%88%86%E6%9E%90

 交流分析では親を、CP(厳格な親)とNP(寛容・育成的な親)の2側面に分けて考えている。ここで一つ指摘しておくことは、NPの立場に立つ時には、全体的な見通しや、自分の忍耐が必要になる、と言うことである。許し育てるためには、自分の責任で広く見た判断が必要になる。なお、「無責任な甘やかし」、と言う場合もあるが、これは長くはもたない。一方、CPに関しては、さらに上の指示通りと言う逃げがある。つまり、上位者にとっては、自分がAP(従順な子)として無条件に従いながら、自分より下の者には、無条件の服従を求める場合である。
 私は、明治以降の日本の体制、特に学校教育を考えるとき、教師の立場にCP(厳格な親)と言う側面が強いと考えている。明治政府には教育勅語があった。一方現在の教師には、それがないが指導要領書等の指示に従うと言う、ACとしての従いがあることでは、同じである。本来の交流分析の発想では、Pになる前に、一度A(成人)を経由することになっている。つまり、一度自分の考えを持ち、論理的に考えて、与えられたものを批判できるようになってから、P(親)の立場になるという考えである。

 しかし、明治の日本は、文明開化と言うことで、西洋と言う模範を急速に受け入れるため、無批判に先人成果を受け入れる体制になった。このため学校制度も、無批判に教師の言うことを受け入れる制度になっている。教師自体も、教えることに関して、変に疑問をもたないような対応をせざるをえなくなっている。
 もっと踏み込めば、日本の信仰問題まで行くだろう。日本の固有法である、貞永式目を作った時、明恵上人の「あるべきようは」の思想がかなり影響したらしい。これは、一般人は知らないが、ある有能な人は、「あるべき姿が解っているのでそれに任せればよい」という信仰になっている。先日の、NHKの朝ドラで
  「この国を良くしてくれるように考えている人がいる」
と言う趣旨の発言を主人公がしていた。このように人に任せる発想が、この国にはあったようだ。即身成仏を成し遂げる人がいる。その人に従えばよい。こうなると、全てが子供の世界であり、その子供たちの階層関係がCP-ACと言う命令関係になる。

 自分の考えをもたずに親になるということは、命令関係しか築けないのではないか?

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