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2015年10月21日 (水)

理性だけで全てが収まるのか

 先日から書いている、甘えの話は、もう少し考えてみると、理性と感情と言う問題が出てきた。特に、高機能性発達障害などの場合にも、この話が当てはまるように思う。
 私の仮説であるが、人間の成長に於いて、まず自分を受け入れてくれる、愛情を注いでくれる人の存在が大切である。このような受け入れを経験し、それに対して自分も何かを感じる。このようなことから、自然に相手のことを思いやるようになる。このような機能が育った上で、学校などのシステムで、理性的な対応を身につけるようにする。そして、根底にある感情的な動きを、理性が制御しながら、日常生活を行っていく。このような生活では、根本依止手に対する思いやり、感謝があって、その上で理性的な行動を営んでいく。
 しかし、学校的な押し付けで、ロボットのプログラムのように行動を決められた人間なら、このような感情の土台は動かなくなってしまう。今の学校教育への過剰適応では、このような現象が起こっているのではないかと思う。
 また、このような感情面が成長しない人間に、いきなり感情を育てようとすると、歯止めが利かなくなる。極度の依存と言うものは、これから生じる場合もあるように思う。
 もう一つ大事なこととして、感情が育たない人間の反省は、本当の反省ではない。
 自分の心が、罪悪感を覚えていないなら、口先だけの謝罪は、相手に響かないと思う。
 親鸞ではないが「自分が悪人と思う人間はまだ救える」と言う状況である。
 今の世の中、これが多くなっているように思う。

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