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2015年11月 9日 (月)

「行間を読め」について

 Inoue氏から、今日も貴重なコメントを頂いた。日本語の教育に対する不満は、おおむね一致しているが、『行間を読む』と言う一件に関しては、二つの見方があるので、ここで議論しておきたい。なお、私が昔書いた、『行間を読め』に対するコメントは以下のとおりである。
 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_ffee.html

 

まずInoue氏の指摘のHP は以下のとおりである。
 http://kf-planning.blogspot.jp/2014/09/blog-post_28.html?m=1
 このブログの意見に私は半分は同意するが、企業で社員教育に当たった経験から、半分は間違っているという。

 同意する部分は、企業トップや管理職の説明責任逃れとの部分である。自分の能力不足で、言えないことを
  「行間を読んで理解しろ」
と言うのは、今後ダイバーシティなどが進む状況を考えて、許されなくなってくる。なお、このページには書いていないが、私のブログで指摘した、
  「逃げ口上としての『行間を読んでもらえば』」
と言う状況は、ますます追求すべきである。

 さて、私が同意できない部分は、新入社員側の対応にある。仕事の場に於いては、お客様は自分の言いたいことを、完全に表現できるということは、めったにない。そのような時、相手の立場を思いやり、自分なりに考えて提案する。このような能力は、少なくとも総合職となるなら、身に着けて欲しいものである。
 また、社内の規則は、最低限度の記述であり、色々と応用を利かすべきことがある。そのような配慮のできない人を見れば、『行間を読め』と言いたくなる気持ちもわかる。

 ただし、昔の議論は、相手の痛みを感じて、遠まわしに言う言い方が多かった。そのような時には『行間を読め』と言うことも必要だった。現在は直接的な表現が多くなってきた、少しぎすぎすしている。確かに、昔の経営者は、
  「マルクス主義の教育ばかりする大学など不要」
等とは、思っていても言わなかった。現在は、「文系不要論」や「L型大学」などと露骨に言うようになった。この辺り、立派な方々が、きちんと意見を言うように、教育した結果だろうか?

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