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2015年11月 5日 (木)

日本の教育の構造的な欠陥

 昨日の記事に、Inoue氏から興味深いコメントを頂いた。

批判的思考や論理的思考よりも創造的思考をいい意味でも悪い意味でも伸ばして来てしまった結果かもしれないでしょうし。

この話、私は日本の教育システムとして、考えるべきものがあると思う。まず比較として、アメリカの作文教育を見て欲しい。
 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-8b23.html
 つまり事実と意見の分離などの、論理的思考法の基礎を、小学校から逐次教わっている。この基礎があるから、大学や大学院で、自由な発想による創造的な研究ができるのである。
 もっと言えば、数学においても、ユークリッド幾何学か、数論や群論などの、定義と公理系のしっかりした分野から、きちんと定理を導出していく過程を、理解しスキルとして身につけているかである。
 そして、大学に於いては、教養課程等のレベルで、一般教養として、デカルトの4原則などのクリティカルな思考法を教えている。そして、科学哲学の反証可能性まで教える。このような段階的な教育が行われたのちに、自由な発想を行う大学院教育が行われるのではないかと思う。
 今回の議論は、最初は小保方晴子氏の個人資質、次は神戸理研の問題、そして早稲田大学の問題と、常に狭い範囲で納めようとする感じがする。日本の科学者育成について、もう少し根本的な議論が必要ではないかと思う。

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コメント

作文教育については、
http://blogs.yahoo.co.jp/otiani/5814644.html
に、
【自由と規範のパラドックス】
米国──徹底的な様式の模倣(型)による訓練──結果として自由な作文。
日本──「自由に」「感じたままに書く」──選択肢となる様式(型)を教えないので結果として型にはまった作文。
と日本作文教育の比較が書かれております。また、小中学校の教育に関しては、
http://www.shiga-u.ac.jp/information/organization-management/president/info_president-massage/info_msg20120723/
アメリカの小中高校では「ゆとり教育」に徹すると言ったが、その中身はというと、プレゼンテーション(人前で自分の意見を述べる)とディベート(討論)の訓練、論理的な思考力の研磨、自然、社会、文学、芸術への関心の醸成などといった、10代にしかできないことを、少人数学級で学ばせるのである。
とあり、その他に、国際バカロレアにおいては、
具体的な学習内容として、「TOK」(ティー・オー・ケー)だけ紹介しておきましょう。「TOK」
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoiku_kenkyu/index.htm
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2012/09/06/1325261_2.pdf
とは「Theory of Knowledge」(知識の理論)の略です。TOKはDPの中核的な学習プログラムで、教科の枠を超えて、論理的思考力や批判的思考力(クリティカル・シンキング)、コミュニケーション能力などを養うための授業です。
http://www.core-net.net/g-edu/issue/1/
とあります。
これに関連して、「ポスト近代型能力」
http://www.jikkyo.co.jp/contents/download/9971318394
において、日本は、個性や創造性,ネットワーク形成力を「詰め込む」ような形、別の見方をすれば日本の特色でもある「近代型能力」を前提もしくは延長線上のような形の面もあり、一方、アメリカもそうですが海外では、
教員から強制的に与えられた「型」ではなく,あくまで課題に対する目的を遂行する手段として一番適した「型」を生徒自身が選びとる,といった過程を踏む。この過程によって,一定量の知識を習得するという形ではなく,生涯に渡って学び続けることができるよう「学び方・思考法」を学んでいるといえ
https://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/32682/1/KyoikugakuKenkyukaKiyoBetsu_18_2_Mitarai.pdf
、一般教養が無意味なものや悪循環とはなりにくい土壌
http://grothendieck-jr.blogspot.jp/2011/05/blog-post_19.html?m=1
の面もあるのでしょう。

Inoue様、何時も貴重な資料ありがとうございます。
参考になるものが多く、ゆっくり見させていただきます。
直感的には、小学校からの国語教育(特に作文)が、無理やり教師の採点に合わせる形で、しかも建前の自由を言っている点に無理があるように思います。
国語ではなく、言語技術の教育と言う面が必要かと思います。
大学の教養部問題は、ご指摘の通りですね。東大のシステムが良いように思います。

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