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2015年11月25日 (水)

戦争を総合的に考える必要があるのではないか

 昨日は、テロについて、戦場心理などの面も絡めて書いてみた。そこで、戦争と言うものの考え方について、もう少し広く考えることが大切だと解ってきた。
 我々は、明治以降では、勉強と言うと、西洋キリスト教文明の影響を受けた学問を考えている。特に学問手法や観点が、これに縛られている。例えば、科目の分け方に関しても、国語・数学・理科・社会などと言う分類になっている。戦争について学ぶとなれば、多くは歴史の分野で学ぶであろう。そこでは、
  「xx年にxxがxxのxxを侵略し、それに対して怒ったxxが戦争を開始した。
  主要な戦いはxxで勝者はxxである。その結果、xxの領土xxはxxのものとなった。」
と言うような項目を暗記し正しく答えれば、よい成績を得る。
 しかし、これは、ヨーロッパと言う同じ文明内での、闘いの記述でしかない。もっと言えば、西欧文明化では、戦争もルールに従った行事である。私も、何度か戦時国際法について書いたが、欧米文明下の戦争と言うものは、決まったルールで行われる。但しこのルールが皆が認識していないものもある。例えば「城の死守は行わず、適宜降伏すべし」と言う、ルールである。これは、お互いが勝敗が見えたら、それ以上は無駄な抵抗をせずに、降伏することで、被害を増やさないようにする知恵である。
 実は、このようなルールを破ったのが、戦前の日本軍である。戦陣訓により、降伏することを許さず、無駄な抵抗や玉砕を強いることになった。これをきちんと明示して、東京裁判が行われたら、日本国民も、少なくとも「東条英機の国際平和に対する罪」は納得したであろう。
 さて、このような西洋文明の戦争と言う概念は、現在は既に壊れている。特に、生活状況の格差も無視できない。例えば、明治時代の日本での、餓死者・病死者の状況を考えると、戦場での死と言うものが、それほど特異なものではないと解るであろう。IS等の問題の背景には、そのような状況もある。
 戦争と言うものを考えるには、その国の経済状況、宗教の状況など、色々なものを総合的に見ないといけない。文化人類学の基礎も必要だろう。このような戦争学と言うものも、一般的な教養の一つではないかと思う。

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