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2015年11月 8日 (日)

日本の言語教育について(木下是雄の貢献)

 先日書いた、ちくま学芸文庫「レポートの組み立て方:木下是雄著」に関してのコメントは、少しきつかったかもしれない。
 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-0122.html

Inoue氏からもいろいろご指摘いただいた。実は、私は高校生の時代から、ロゲルギストの「物理の散歩道」を読んでいた。学問の面白さや、考える方法について、物理の散歩道シリーズから与えられたものは大きかったと思う。

 ロゲルギストの一員である、木下是雄著と言う形で売り出したのが中公新書「理科系の作文技術」である。この本も技術者として文章を作る上で学ぶべきことは多かった。

 その後、朝日選書「実践・言語技術入門:言語技術の会編」が出た。この本の著者は、学習院教育問題委員会が母体であり、木下是雄元学長の指導下の活動である。

 先人の功績に敬意を表する。ここで挙げた本は、多くの人に読んでほしいものである。

 しかし、大学生のレポート作成が「レポートの組み立て方」だけで終わるのさびしいと思う。せめてヴェーバーの理念型の使い方や、客観性論文ぐらいは理解した上で、書いてほしいと思う。

 そのように考えると、やはり日本の国語教育は問題が多い。このような国語教育での論理性軽視は、国民の議論レベルを低く抑え、論理的思考を「東大法学部出身者」の独占にするように仕向ける、文部官僚の陰謀ではないかと疑ってしまう。

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コメント

社会科学での態度や現象の取り扱い様に客観的で説得性のある説明が必要
http://d.hatena.ne.jp/fy-consul/touch/20140416/1397628239
なのでしょう。もう一つ、日本の国語教育の弊害としては、
http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/Science/Writing/writing03-02.html
事実と意見の区別に対する考察が, 内田浩
http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~kokugo/nonami/uchida/uchida.html
によってなされている.

自然科学では, 事実と, その事実から客観的に導き出される推論と, それらに 対する意見との3段階に分けて考えられる. 第2段階も事実の一部としてもよい が, 前提となる事実と, そこからの推論は, 区別して考える方が分かりやすい
似たような問題に, 議論における現状説明と現状肯定との混同がある.
現状説明と現状肯定を混同してしまう原因は, 前回述べた,
http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/Science/Writing/writing03-01.html
行間を読むことの弊害であり、
http://kf-planning.blogspot.jp/2014/09/blog-post_28.html?m=1
問題解決力がその筆頭に挙げられていますが、具体的な能力のひとつとして国語力としての「行間を読む力」があげられています。

つまりは、企業の現場において新入社員たちは「行間が読めない」と感じられていることから出ていることだと思われます。
行間など読まないですむ明晰な文章や言葉で伝えることが求められている今にあって、学生たちに「行間を読む力」を求めるのは見当違いであると言えます。


「行間が読めない」とは、主として送り手の論理の省略を、受け手が補うことが出来ない状態のことだと考えられます。

その原因としては、受け手が受取った情報をもとにして行う、論理的な理解力や推論する能力に欠けていることがあげられます。

そして、さらにそれ以前に、求められる基本知識に欠けていることも考えられます。

受け手に求められる基本知識には、一般常識や社会通念はもとより、送り手の持つ大前提などが含まれることになります。

このことから、行間を読む力が求められたり、身についてしまったり、行間が読めなかったり、なのかもしれない事態があろうかと思います。

Inoue様、何時もありがとうございます。
日本語教育に関しては、かなり同意できる部分が多いです。
なお、行間を読めに関しては、両面の意見があり、それは本文で書かせていただきます。

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