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2015年12月14日 (月)

西洋文明について

 論理的に考えるということは、大切であると思ってきた。しかし、この価値観は西洋文明から植え付けられたものである。確かに西洋文明は、ギリシャの哲学などを母体に、しっかりした論理性で、技術的に大きな力を引き出し、現在の多くの覇権国の力を支えている。
 しかし、我々には、仏教を通じて身に着けた、インドから中国を経由して伝わった、思考法がある。法華経を読んでみれば、巧みな比喩と、見事な舞台設定を伝える記述で、皆が臨場感を共有し、その上での説得ができる仕組みができている。また、計算術もきちんとできていた。
 一方、西洋文明には、ユークリッド幾何学に始まる、厳密な定義と公理から、決められた推論規則による論証という仕組みがある。この厳密性は、現実の複雑さへの対応力を、犠牲にしたものである。この割り切りが、産業革命などを引き出す、厳密科学を生み出した。
 このような割り切りについては、一つはナイル川の氾濫に対応する、地図の存在が大きな役割を果たしたと思う。しかし、もう一つ、キリスト教の神の世界が、大きな意味を持つと思う。神の正解は、我々には及びもつかないものである。従って、我々は、決められた範囲でしっかり考える、これしかできないのだと思う。振り返ってみれば、仏教には即身成仏や円頓止観という形で、人間に全て世界見える可能性があることを示している。
 このように考えると、西洋文明が誕生した一つの理由が見えるように思う。
 そして、現在のシステム思考は、東洋的思考法の活用の余地を示しているように思う。

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