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2015年12月 1日 (火)

発言の仕方について

 新潟日報上越支社の元部長のtwitterの暴言事件を考えてみた。
  http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinoharashuji/20151129-00051943/
  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151127-00000072-spnannex-ent

 この事件の主は、「しばき隊」と言う、在特会に対し言動による攻撃をする、活動家であった。

 さて、今回の事件は、元部長が、弁護士に対して、暴言を吐いたということである。

 この事件を、なぜこのような行動になったかとの点で、少し踏み込んでみたい。
 まず、色々な所で聞く意見であるが、「しばき隊」の活動を通じて、在特会との間で、罵倒の応酬があったため、言語に関する感性がずれていた。つまり、過激な表現、人格に対する攻撃などは、過激でないと感じなくなっていた。これは一つの可能性だと思う。

 しかし、もう一つの可能性として、対弁護士と言う問題も考えてみたい。これは、しばき隊の相手の在特会にも、共通する問題である。つまり、弁護士は、いわゆる『論理的』で『法的に許される範囲』で相手を攻撃する。これに対して、素人の人間は、口答えを許されないようなものがある。性的犯罪などでも、被告側弁護士の「セカンドレイプ問題」がようやく取り上げられるようになったが、いまっまで多くの被害者が、被告側弁護士により心の傷を負ったことを、もう一度考えるべきであろう。

 根底には、日本の言論の形から考えるべきものがあるように思う。

 論理的思考と法律知識を持った特権階級なら、人の攻撃をしても大丈夫なのか?

これが、在特会やしばき隊等の行動の奥底に存在するものではないかと思う。

 もっと言えば、テロ行動の走る者にも、根底には、
  「彼らのルールで決められたことしかできない。
   自分たちは虐げられているが不満は言えない。」
という感覚があるのではないかと思う。

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