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2016年1月28日 (木)

総合的に図を描いた上での専門家の意見

 昨日、NHKの「クローズアップ現代」は、
  “副作用”がわからない? ~信頼できるワクチン行政とは~
  http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3760.html
であった。この中で、アメリカの制度を取り上げていた。ワクチンの採用に関して、賛成反対の意見を専門家や患者たちの意見を公開し、その上で一般人を含めた委員の評決で採否を決める制度である。これは、陪審員裁判と同じ趣旨だと思った。
 このように、一般人の評価を得るためには、総合的な全体像を描き、それを公開したうえでの議論が大切になる。なお、議論の過程を通じて、そのような全体像は、変わっていくかもしれない。しかし、特定の専門家だけが、全貌を知っているのではなく、皆が公開したうえで議論することが大切である。

 一方、我が国の制度では、どうも専門家の意見が強すぎる。そして、全体像が見えなくなっている。ワクチンの例では、副作用に苦しむ人はどれぐらいいるのかが、個々人の訴えでしか見えていない。副作用で苦しむ人は、どのような症状が出て、何人いるのか、この話の全貌すら見えていない。一方、ワクチンを接種しタラ、どれほどの病人が発症せずに済む、または軽症で済むのか、そちらの議論も合わせて行うべきである。このような全体像は、昔は厚生官僚たちが把握していたと思う。しかし、今ではそのような全体像を持っている人がいるのか、よくわからない。マスメディアを、解説的な記事を書くなら、全体像を描くことを考えるべきだと思うが、センセーショナルに副作用の被害を大きく取り上げることはあっても、全体像をうまく解説した記事を見ることは少ない。

 ここで一つ指摘しておくことは、日本と米国の信仰の違いである。米国などのキリスト教文明では、「全体像などは神の世界」という発想がある。従って、我々人間は、自分想っている部分品を持ち寄り、公開しながら、全体像を組み立てていくという考えがある。一方、日本の信仰は、人間でも神様(仏様)の世界に行けるという発想である。専門家を、「XXの神様」と言う場合もある。この時、全てを専門家が持っている、という幻想ができてくる。逆に、「下々は知らなくてもよい」と言う、お上の発想も出てくる。
 このような考え方の違いが、総合的な図式を描いて公開することへの抵抗になっているのではと思う。

 なお、この話は、現場主義ということとも、関連していると思う。現場の声を重視するときには、全体像を描いた上で、行うべきである。現場の声は、鋭いが狭い観点の時が多い。これを総合的な図式の中に取り込んで、生かすことが管理者・経営者の仕事だと思う。現場を重視するなら、全体を俯瞰した図を描くこと、これが総合職・管理職・経営者の仕事ではないかと思う。

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