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2016年1月 6日 (水)

日本人の議論能力について

 今回の安保法案の議論での、民主党などの対応がある種の典型であるが、日本人の議論にはYesとNoしかなく、対案を出しながらより良いものを作り上げるという感じが弱いように思う。
 この理由を、宗教面からも考えてみた。キリスト教文明では、神の世界は到達不可能であり、われわれ人間は断片しかもっていない。それを継ぎ合わせて、よりましなものを協力して作り上げる、という発想は当然出てくると思う。そのための手段として、彼らは大学をきちんと育てていた。
 一方、我々の暮らしている大乗仏教の世界では、皆に仏性があるという発想である。そして悟りを開いた人間がいるという発想である。そこでは、法華経のように、まず全体像を示し、そのうえで個別のことを示すことができる、親の立場の人間が存在するという前提で話が進んでいる。多くの参加者は、子供の立場で、自分が言いたいことだけ言う。そして賛成か反対だけに話が収束していく。ただし、このことは、建前としては認められていない。建前としては、会議参加者は平等であり、皆の意見を合わせて、新しいものを作るという立場である。
 本音としては、
  「誰かが全体像を見てよいものを出してくれる」
または
  「我々だけが全体を知って正しい判断ができる。それに従え!」
という形の議論(?)になっている。
 このような、隠れた本音の情況を認識しない限り、日本人の議論力は低下する一方だと思う。
 一つの解決策の案として、1枚の紙に全体像を描く訓練を考えてみた。参考にしてほしい。
 http://manabizz.c.ooco.jp/BunshoA3.pdf

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