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2016年1月12日 (火)

日本教育のひずみの原因としての平等論

 前回書いた、「民主主義を育てるということ」に,Yuukiさんからコメントいただいた。彼女は現在アメリカにいるということなので、アメリカの教育も見たコメントであり、参考になる。
 http://ohimhouse.cocolog-nifty.com/me_like_chocolate/
 さて、アメリカの教育と日本の教育の大きな違いは、アメリカではきっちりとした、分担ができているように思う。私が前に書いた作文教育の事例は以下のとおりである。
 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-8b23.html
 体育の教育でも、中学まではルールに従った運動をさせるが、高校からは自主性に任せる様にする。この切り替えが、日本の教育にはできていないように思う。

 私は、一つの仮説として、戦後日本の平等性信仰が、このような教育の切り替えを難しくしているように思う。もう少し踏み込むと、指導者としてのエリート教育と責任感の教育ができていない。従ってみな平等に、教えられたことを吸収しなさいという考えである。哲学の教育ですら、先人の言ったことをなぞるだけという話になってしまう。自分の考えを持ち、それで世の中を動かす。このような発想がタブー視されているのではないかと思う。
 これは、戦前の日本軍は兵隊は一流だが、それを指揮する人材は平凡で、軍隊全体の指揮者や国政の指導者は最低という評価にもつながっているように思う。

 このような詰め込み教育では、自分の考えを持たれると教師には都合が悪い。そこで教師の言ったとおりの答えを書かせると、良い成績が取れるような仕組みとして、授業をきちんと聞かせるようにしている。指導者が完備しているので、ここで板書しろとか、このように言えということで、試験の正解を言う。これを、まじめに聞いていればよい成績が取れる。
 こうして、教師の権威を維持し授業を静かに聞く仕組みができている。

 しかし、本来の指導者を選別するなら、教師に疑問を持つような自分の考えを持つ生徒を育てることも大切である。中学時代から徐々に選別し、高校ぐらいからは、これをきちんと行う。そのために論理的思考法の基礎を、小学校~中学できちんと教える。
 これができない一つの原因は、日本的横並び思想があるように思う。

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